水との縁が深い木曽の名宿【奈良井】


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中山道に設けられた69の宿場のうち、特に道が険しい木曽谷に設けられた贄川(にえかわ)から馬籠(まごめ)までの宿場は、かつて木曽十一宿と呼ばれていた。
木曽の山が険しいことは、現代も同じ。国土開発にも限界というものはあって、木曽谷は中央自動車道のコースから外れてしまった。おかげで、木曽谷に残された国道19号線は交通量も比較的少なく、通過するだけでも旅情を味わうことができるから、それはそれで良かったのかもしれない。




さて、旅情豊かな木曽の十一宿から、どこか一つを選んで訪れるとすれば、どこが良いだろうか。
妻籠(つまご)宿や馬籠宿も情緒があって良いのだが、ぼくだったら奈良井宿にしたい、というのが今回の趣旨だ。

妻籠や馬籠と同様、奈良井も当時の面影を強く残す宿場町として有名だから、ぼくの主張に賛同してくれる人も少なくないだろう。
だから、宿場町の歴史的景観の評価は程々にすることにして、主に地勢的な側面から奈良井宿の魅力を紹介したいと思う。

木曽十一宿のうち、南端の二つ(妻籠と馬籠である)を除く9つの宿場については、国道だけでなく鉄道(JR中央本線)が通っている。通っているだけではなく、9つすべてに駅が設置されている。往時の宿場町の賑わいを考えれば、駅があるのも当然のことなのだが。

ドットがつぶれて読みづらくなるのを覚悟で、奈良井駅付近を5万分の1地形図レベルで切り出した。
北東の木曽平沢駅が同じ枠内に入っている。両駅の駅間距離は、時刻表によれば1.8kmしかなく、いわゆる中央本線(通勤電車の中央線を除くという意味)に限れば、ここより駅間が短いのは名古屋市内に1箇所あるのみである。

かつて、木曽平沢駅の近くには旧・楢川(ならかわ)村の役場が置かれていた。楢川村の村域には奈良井宿と贄川宿があったのだが、合成地名だったのだろうか。
村役場が奈良井と贄川の間に位置する平沢に置かれたのも、伝統ある両宿場の確執とは言わないまでもある種の駆け引きがあったか、あるいは駆け引きを避けた結果そうなったのかもしれない。

とにかく、平沢と奈良井の距離は非常に短い。歩いたとしても大した時間はかからない。
だから、もし中山道を歩いて旅人気分を味わいたいのならば、ぼくは平沢から奈良井まで歩くことを勧める。妻籠と馬籠の間を歩くのもいいだろうが、今なお険しい馬籠峠を歩いて越えるのは一苦労だろうし、距離も長い。その点、こちらは1.8km。いかがだろうか。

旧道脇には、漆器の店や木材加工の工場などが、飾り気もなく建ち並んでいる。
中山道によって支えられた地場産業が、現代もまだ生きているのを、確かめることができる。

奈良井宿付近の拡大図である。
国道19号線は、妻籠と馬籠を除く9つの宿場すべてをバイパスで通過する。この奈良井も例外ではないから、車で訪れる場合は「道の駅 奈良井木曽の大橋」(図中「奈良井川」の「良」付近にある)に車を停めるとよい。妻籠とは違い奈良井には交通規制はなかったと記憶しているが、情緒ある宿場町を車で通り抜けるのは無粋極まりない。
しかし、鉄道の駅と比べても集客能力やランドマーク性で勝っていると思われる道の駅を、地形図でまったく取り上げていない理由は何だろうか。地図記号の一つくらい誂えても罰はあたらないと思うのだが。

駅から上流に向かって、地図記号のない「(しずめ)神社」を含めると、少なくとも8箇所の寺社がこの奈良井集落に点在している。寺社の数は町の伝統を示す有効な指標だと思うが、往時に「奈良井千軒」とよばれ、賑わいをみせた宿場だけのことはある。
これら寺社すべてが山側に位置することに注目してほしい。高台や水源などの貴重な共有地の保護に日本の寺社が果たしてきた役割は計り知れないと思うのだが、奈良井の寺社もそうなのだろうか。現在でも奈良井宿には6箇所の水場が整備されており、旅人ならぬ観光客の喉を潤してくれる。なお、ぼくのお勧めは、郵便局の脇にある水場だ。

なぜ、奈良井宿は賑わったのか。
恐らく、これから紹介する鳥居峠の存在抜きに、奈良井宿を語ることはできないだろう。
奈良井宿と鳥居峠の高低差は、等高線を数えればわかるが、およそ300m。鳥居峠を越える前には水盃を交わしたとまでいわれる、木曽路最大の難所であった。

近代の交通機関は、難所のはるか下をトンネルですり抜けてしまう。しかし、峠の前後には当時の遺構が現在も残っている。峠の手前にある建物は、旅人を休ませた茶屋か何かだろうか。峠の向こう、藪原側の丘の上には神社の記号も見える。

最後に、地勢学的に興味深い点をひとつ記しておきたい。
鳥居峠の上を、中央分水嶺が通っている。峠の西側は木曽川の源流となって太平洋側に、東側の奈良井川は安曇野で犀川と合流し、最終的には信濃川となって日本海に注ぐ。
ところが、奈良井川の東を流れる横川川(変な名前だ!)は天竜川の支流だから、やはり太平洋側に注ぐ。奈良井川の流域だけが日本海側なのだ。このため、中央分水嶺界は奈良井付近で大きく南側に切れ込んでおり、切れ込みの深さはなんと30kmにも及ぶ。

宿場の湧水に、水盃。奈良井宿は何かと水に縁のある土地のようだ。




手元には、1990年撮影の写真しかなかった。
当時のスナップ写真をスキャナーで取り込んだため、画質が悪いのはご容赦いただきたい。
奈良井駅前から宿場へと通じる道を、車が通っていることがわかる。

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このページは、kimisekaが2008年11月 1日 11:49に書いたブログ記事です。

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