離島の暮らしは、実際に離島に住んだ者でなければわからない、という。
だから、橋によって本土と結ばれることの価値も、本土の者には恐らく理解できない。
九州と天草上島は五つの橋によって結ばれており、これらを総称して天草五橋という。
雲仙天草国立公園への交通を支えるだけでなく、五橋それ自体も観光に堪える美しさを備えているのだが、これらの橋はもちろん観光用途を目的として建設されたわけではない。
Wikipediaの記述によると、熊本県議会にて天草架橋が取り上げられたのは1936年とある。
ただし、当時はまったく相手にされなかったらしい。
大戦をまたいで続けられた架橋の願いが叶ったのは、それから30年後の1966年のことであった。
第一の橋(天門橋)を除く四つの橋は、この図からもわかるように狭い瀬戸に連続して架けられている。橋の延長は五橋全部を合わせても1,810mで、明石海峡大橋の半分にも満たない。
このような「小さい」橋を架けることすら困難であった時代から、まだ半世紀も経っていない。
ぼくがWikipediaの記述を読んで痛快だと思うのは「当初は償還期間39年を見込んだ有料道路であったが、開通により天草への観光客が急増し、モータリゼーションの進展なども含めた交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化された」というくだりである。
もっとも、天草の人にとっては、痛快でもなんでもないことだろう。ただ、橋の需要と橋がもたらすであろう利益を確実に見通していた者が天草にいた、ということだ。
天草五橋が支えている島々の人口は、約13万人。これは、本四の回廊となっている淡路島(約15万人)に次いで多い。
橋やトンネル、高速道路や空港を建設してほしい、という声を現在も全国各地で聞く。
また、建設前の需要予測と比較して完成後の実績値が大幅に下回ったという話も、同様に全国各地で聞く。
不便な土地に住む人々が、それら便利な交通手段を欲しているということを、ぼくは疑うつもりはない。
ただ、本当に必要なのであれば、もっと真剣に物事を考えるべきではないのか。現実と乖離した値を底上げまでして作ることに、どれほどの意味があるというのだろうか。
たった一年後の見通しを外しているようでは、天草架橋の未来を見通した者に笑われると思うのだが、いかがだろうか。
参考:森 慈秀
