北海道の最果てともなれば、通りすがりの人も少なくなってくる。だから、美深という地名を車窓のアナウンスで聞いただけだという人はほとんどいないだろう。
したがって、世の中の人は、美深という地名を全く聞いたことがない人と、美深にかんする情報までを含めて知っている人とに大別される。いわゆる、知る人ぞ知る、という状態だ。
では、美深のことをどのくらい知っているのだろうか。
これから、ぼくが美深にかんして知っていることの、ほとんどすべてを記すことになるだろう。
ひとことで表すならば、美深は魅力いっぱいの厳しい土地だということだ。
美深町の市街地付近を拡大した地形図である。
市街地の周辺に、わずかではあるが水田の記号がみられる。北海道は日本一の米どころ、という知識はもはや常識の範疇だろうが、道内全域で稲作が行われているわけではなく、ここ美深町付近が稲作の北限ということである。大沼一雄の著書にそのような記述があったのを覚えている。
あらためて市街地に目を向けてみると、約五千人の人口しかない町にしては市街地規模が大きい。
これは何も美深町に限った話ではなく、開拓とともに発展した道内の多くの町で、同様の傾向がみられる。
思いつく理由は三つほどある。広い土地を活かして市街地が大きく作られていること、市街地の集約率が高いこと。過疎化が進み人口が減少しても家屋は人口に比例して減少しないこと。
二番目の理由には少し説明を要する。
市街地を離れてもだらだらと人家の続く内地とは異なり、町と町の間は無人地帯、といったケースが道内では珍しくない。つまり、道内では中心地に人口の大半が集中しているのだ。人口五千の美深町の市街地規模は、内地の人口二万の町の市街地に匹敵するだろう。
厳しすぎる自然が、寄り集まって暮らす町を作らせたのだろう。
Wikipediaの記述によれば、美深町は1935年にマイナス41.5℃を記録している。これは最低気温の日本記録になる。
ただし、極寒の地というわけではない。同じ年ではないものの、美深町は最高気温36℃を記録したこともある。77.5℃に達する気温較差も、美深町が持つ日本記録の一つである。
日本一が出たついでに、もっとも有名な「美深町の日本一」の話をしよう。
1985年まで、美深駅から東方に美幸線という鉄道路線が延びていた。「日本一の赤字線」として全国ニュースにも度々取り上げられたから、鉄道ファンでなくても知っている人はいるのではないだろうか。
廃止から二十年以上が経過していることと、河川改修工事などで市街地寄りの区間には路盤が掘り返されている場所もあることから、現在の地形図から当時の線路跡を見出すのは容易なことではない。ただし、終点の
この区間は観光用トロッコ鉄道として、第二の人生を送っている。糠平の回でも旧・士幌線の観光トロッコを紹介したと記憶しているが、大赤字区間であるが故に路盤の撤去もままならず、結果的に観光路線としての立ち上げが容易になったのは不思議な縁と言わざるを得ない(もっとも、その道のりは決して容易なものではないと思うが)。
図中の記念碑の記号は、言うまでもなく旧・仁宇布駅の跡である。現在は観光トロッコの起点かつ終点の、コタンコロ・カムイ駅となっている。
線路はここで途切れているが、この線路を図上で延長すると、学校(仁宇布小中学校)の北方にある不自然な盛土にぶつかる。遂に開通することのなかった旧・美幸線の恨めしい延長区間は、旧・歌登町方面へ延々と続いている。

仁宇布集落の南には、富士重工美深試験場がある。山中をクネクネと走るコースは、どうやら寒冷地での走行試験用らしい。
ところで、東北東-西南西方向に作られた、2,000mの長さに及ぶ構造物は一体何だろう。
小型機の滑走路だろうか。そして、自動車メーカーの多忙な役員や研究員を、旭川や新千歳まで運んだりするのだろうか。
美深試験場に電話すれば教えてもらえそうだが、もちろんそんな野暮なことはしない。
健在だった頃の美幸線のキャッチフレーズは「日本一の赤字線美幸線にのって秘境松山湿原へ行こう」というものだった。松山湿原は仁宇布集落の南方にあたる。
湿原周辺には森林限界の代表といわれるハイマツの記号がある。本州では日本アルプスの山頂付近まで登らなければ見られない。それだけ寒い、ということだ。
ここより5kmほど南方には、また別の秘境・ピアシリ湿原がある。平坦なコースだが、直通する歩道はない。実際にはハイマツ林は歩きづらいし、それにわざわざヒグマの棲み処に分け入る必要はないだろうが。
車で行けるのは途中までで、そこから湿原までは相当の距離を歩かなければならない。
秘境の名に恥じない場所にあるとは思うが、鉄道で仁宇布まで連れていった後で湿原まで登らせるのはさすがに無理があるだろう。
しかし、湿原まで行けなくても、魅力的な場所は他にもある。登山道の途中にある仁宇布の冷水は、今年になって「平成の名水百選」に指定された。
「日本一の赤字線」が消えてしまっても、沿線の魅力は消えることがない。
