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    <title>きみの知らないところで世界は動く</title>
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    <updated>2009-05-22T21:38:42Z</updated>
    <subtitle>だいたい地図に何が書いてあるっていうんだ？　地図なんて、学校の教科書みたいなものじゃないか。
（片山恭一『きみの知らないところで世界は動く』より）
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    <title>「日本の中心」が誇る三つの水【郡上】</title>
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    <published>2009-05-22T21:37:15Z</published>
    <updated>2009-05-22T21:38:42Z</updated>

    <summary> 平成の大合併により誕生した郡上市の面積は1,000平方キロメートルを超える。 大合併の効果については以前から懐疑的ではあるのだが、地域に点在していた見どころを一つのキーワードで紹介できるようになった...</summary>
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        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V2/?lat=35.7294559&amp;lon=136.96313486&amp;sc=13&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=35.82986111&amp;hlon=136.95015806&amp;s=1242871157a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>平成の大合併により誕生した<strong>郡上市</strong>の面積は1,000平方キロメートルを超える。<br />
大合併の効果については以前から懐疑的ではあるのだが、地域に点在していた見どころを一つのキーワードで紹介できるようになったことは、数少ない利点の一つかもしれない。</p>

<p>郡上市は大半が<strong>長良川</strong>の流域になる。河口堰を除いてダムが存在しないことで知られる、日本では数少ない清流のひとつである。ダムが作られなかった理由はいくつかあって（清流だから、というのは残念ながら日本では理由にはならない）、谷の幅が比較的広いために適した地形がないこと、開けた地形のために谷筋に相当数の人口が集中し、水没に伴う影響が非常に大きいことなどが挙げられると思う。</p>

<p>長良川は中流域が名水百選に指定されている。指定区域は美濃市・関市・岐阜市となっており郡上市は対象から外れてはいるが、上流に位置する郡上市では観賞に堪えない、などということがあるわけがない。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLlN8MhGj0h8XM7geWiqs70MYtDqxG7bKgGuU3b1wa5Y0oGT87l1nWSW6z1b15t6U1uG0EU01s0S87P80plYl3y"></iframe></p>

<p>郡上市の中心、旧・八幡町の市街地を切り出した。<br />
「奥美濃の小京都」とも呼ばれる情緒あふれる町並みは観光客に人気があるが、味気ない地形図からは残念ながら町の様子までを窺い知ることはできない。<br />
ただし、地形図を注意して見ると、中心市街を取り巻く形で幅員の広いバイパスが建設されているのがわかる。旧市街地の道路が自動車の通行に耐えられないための措置である。<br />
本図の中心、十字の印の付近には<strong>宗祇水</strong>という湧水がある。環境庁（当時）が名水百選を制定する際に、最初に選んだのがこの宗祇水であったと言われている。長良川の指定区域から外されても、郡上は名だたる水の町なのだ。</p>

<p>次の地図に移動する前に「日本の中心」について説明しておきたい。<br />
現在は郡上市域になっている旧・美並村には以前<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%87%8D%E5%BF%83#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E4.BA.BA.E5.8F.A3.E9.87.8D.E5.BF.83">「日本の人口重心」</a>があった。現在でも東海北陸自動車道を走行中に、このような標柱を眺めることができる。<br />
この設定が活きたと思われる映画（『サトラレ』）のロケ地が八幡町周辺にあるそうだが、ぼくはエンタテインメントには詳しくないので、紹介は割愛させていただく。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLlN0N8Myru2hU2qJNQ1P7WsNX0UPItB376l7C3sAB41bWvGFW3a0u0Dx3C2B0Cx3nVWSwx3j0tGEnE1eX587v"></iframe></p>

<p>旧・八幡町から国道156号線を北上すると、旧・白鳥町を抜けたあたりから峠越えとなる。<br />
峠を登り詰めると一転して平坦な景色が広がる不思議な地形をしている。<strong>ひるがの高原</strong>という地名の方が有名かもしれない。<br />
地形図の中央にある記念碑は、<strong>中央分水嶺</strong>であることを記念する公園の中に設置されているらしい。一本のせせらぎが公園の中で分離し、それぞれ太平洋側（長良川水系）と日本海側（庄川水系）に注ぎ込む。子どもに読み聞かせるような物語をこの目で見られる、貴重な場所ではないだろうか。<br />
「日本の中心」は、水の町である。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="gujo.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/gujo.jpg" width="480" height="640" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>写真は宗祇水。日中は観光客（ぼく自身も含む）が絶えないため、人影の写り込まない写真は撮りづらい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>離れ島の果て【水納島】</title>
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    <published>2009-03-20T22:10:40Z</published>
    <updated>2009-03-20T22:14:14Z</updated>

    <summary>子供の頃のことでよく覚えていないのだけれど、あれは確か沖縄の民話の本だったと思う。 その民話の主人公が何かの拍子で流されていき、遠く離れた宮古島の、そのまた離れた多良間島の、そのまた離れた水納島(みん...</summary>
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        <![CDATA[<p>子供の頃のことでよく覚えていないのだけれど、あれは確か沖縄の民話の本だったと思う。<br />
その民話の主人公が何かの拍子で流されていき、遠く離れた宮古島の、そのまた離れた多良間島の、そのまた離れた<strong><ruby><rb>水納島</rb><rp>(<rt>みんなじま</rt><rp>)</ruby></strong>に漂着したという設定だった。<br />
「離れ島のそのまた離れ島のそのまた離れ島」という水納島は一体どこにあるのだろうかと、子供心に気になって教科書の地図帳を開いて調べたものだった。おかげで、この記述は今でもよく覚えている。</p>

<p>時を隔てたところで、水納島が「離れ島のそのまた離れ島のそのまた離れ島」である事実は何も変わってはいない。<br />
ぼくは、水納島に漂着する可能性はおろか、上陸する機会すら持ち合わせてはいない。<br />
だからこうしてインターネットの地図を開き、見果てぬ最果ての島を旅することで気を紛らせよう。</p>

<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=24.65247528&amp;lon=124.69231018&amp;sc=13&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=24.64992694&amp;hlon=124.6970925&amp;s=123378215976a12bb6e0f7cc0d6a4f47559ba2c9bd&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>水納島に渡るには、多良間島から船を使うしかない。<br />
多良間島に渡る手段も、そんなに多くはない。もっとも便利なのは宮古島からプロペラ機に乗り込むことだろう。<br />
遠く離れた宮古島の、そのまた離れた多良間島の、そのまた離れた水納島。民話の伝承は、交通機関を使う時にまでも役に立つ。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MGMWLlMlN8MdMON5lg4_lMwZZ8Dr0G7bKQv2lnnh1o0ynYm0OWCp3V0o0Yn01lWU06I1rnGES3aX0QOHI1zW"></iframe></p>

<p>これが水納島の全景である。</p>

<p>ところで、水納島といえば美しいビーチを持つ三日月形の島をイメージする人が多いのではないだろうか。ぼくも沖縄旅行のパンフレットで写真を見たことがある。<br />
だが、それは<strong>また別の水納島</strong>だ。沖縄本島に近い、本部町の水納島だ。ぼくが紹介したいのは「離れ島のそのまた離れ島のそのまた離れ島」の水納島なのだ。誤解のないようにお断りしておく。</p>

<p>さて、水納島には船で渡ると書いたが、この地図には渡船の記号は見当たらない。<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4931230148/kimiseka-22 /ref=nosim/">『日本の島ガイド SHIMADAS』</a>によれば、水納島の住民はわずかに二世帯・八人とある。本文中では一家族のみとあるから、実際には一つの大家族が暮らしているということなのだろう。なお、Wikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B4%8D%E5%B3%B6_(%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E5%A4%9A%E8%89%AF%E9%96%93%E6%9D%91)">記述</a>によれば、現在の人口は六人となっていた。<br />
『SHIMADAS』によれば、水納島に渡る方法として、こちらのご家族に連絡する旨が記されていた。観光客のために船を出してくださる、ということなのだろう。</p>

<p>これは今尾恵介氏の著書で紹介されていたのだが、水納島には単一の郵便番号（〒906-0603）が割り当てられている。もっとも、定期船のない島に郵便物がどうやって配達されるのかは知らないけれど。<br />
これは家族専用の郵便番号だ。東京都江東区大島（〒136-0072）のように六万人近くの人が同一郵便番号を使っていることを考えれば、ささやかな贅沢と言えなくもない。もっとも、郵便番号は理論的には一千万通りのバリエーションを持っているのだから、少人数で一つの郵便番号を使う水納島の方が当然なのであって、日本全体が恐ろしく非効率的な郵便番号を押しつけられているとも言えるが。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
やや脱線した。本題に戻る。<br />
島には、学校もなければ（一時期分校が存在したものの廃校）、店もない。食料品も基本的に持参である。<br />
一家族しか暮らしていないのだから、学校も店もなくて当然なのだろうが、離島の厳しい状況を淡々と説明されると、だんだんと神妙な気持ちになってくる。</p>

<p>ぼくは、水納島に上陸する機会はないだろう、と書いた。<br />
もちろん、その気になれば行くことはできるだろう。「「離れ島のそのまた離れ島」多良間島でさえも、東京からはわずか二回のフライトで行くことができるのだから。<br />
しかし、一家族が暮らす最果ての島にお邪魔する勇気が、ぼくにはない。物見遊山の気分で訪れてはいけないような、そんな気がする。</p>

<p>民話の伝承に語り継がれる、最果ての島。子供の頃に抱いたイメージだけで、ぼくは満足だ。</p>]]>
        
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    <title>さらば点線国道【甲子道路】</title>
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    <published>2009-02-20T20:56:47Z</published>
    <updated>2009-02-20T21:04:59Z</updated>

    <summary> 2008年9月、国道289号線の未開通区間の一部が開通した。これによって南会津地方の交通の便が格段に良くなったのだが、今回の主題ではないので割愛する。 さて、国道289号線には、どんな特徴があるのだ...</summary>
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        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=37.18751698&amp;lon=140.02141952&amp;sc=10&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=37.1387&amp;hlon=140.15872&amp;s=123378287376a12bb6e0f7cc0d6a4f47559ba2c9bd&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>2008年9月、国道289号線の未開通区間の一部が開通した。これによって南会津地方の交通の便が格段に良くなったのだが、今回の主題ではないので割愛する。</p>

<p>さて、国道289号線には、どんな特徴があるのだろうか。<br />
全長4,345mにも及ぶ甲子トンネルの存在でも明らかがと思うが、近年になってようやく開通に至ったという事実が、この国道の難工事ぶりを物語っている。<br />
果たして、沿道の地図を眺めながら、その苦労を偲ぶことができるだろうか。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWM0LpGjGiNkU5O5b2sJDOOQD1jjY0xnZGN2AADWEO7jKM83D1pWV07A1n0Rt6O4M0Pt7a00ut07S1lWT_W3J2AGFp"></iframe></p>

<p>難工事区間と直接の関係がなくとも、沿道の地形を窺うのは決して無駄ではないだろう。<br />
本図で示した地域は、西郷村役場の少し西側にあたる。等高線の間隔は緩やかで、山岳道路の気配はまだ感じられない。</p>

<p>図中、北側を流れる阿武隈川と南側を流れる堀川の位置関係に注目されたい。<br />
川谷集落の北に、下線付きの「55.0」という数字が記されているが、これは<strong>岸高</strong>を示す。つまりこの地点は、阿武隈川の川面から55.0mもの切り立った崖の上だということだ。等高線より標高が約550mであることが判読できるから、簡単な計算により阿武隈川は標高500m前後のところを流れていることがわかる。<br />
一方、堀川の方では深い渓谷はまったく形成されていない。周辺の土地と堀川との高低差は、ほとんどないものと考えられる。</p>

<p>したがって、真船付近では、50mもの高低差のある二本の川が並行して流れていることになる。<br />
ここからはぼくの推測だが、このまま阿武隈川側の浸食が進むと、いずれ堀川は河川争奪によって阿武隈川に奪われてしまうことだろう。もっとも、それは何千年、何万年も先の話だろうが。</p>

<p>阿武隈川が作り上げた峡谷があまりにも深く険しいため、国道289号は谷筋に沿って工事を進めることができなかったのだろう。<br />
山肌を切り開いて道路を建設する最新の技術が投入されるまで、国道開通が待たされた理由がわかるというものだ。</p>

<p><iframe width="640" height="480" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=37.174475,140.006289&amp;spn=0.023731,0.026093&amp;t=p&amp;z=15&amp;output=embed&amp;s=AARTsJqzARj-Z8VnW5pkPMLMmZbqrJcYpw"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=37.174475,140.006289&amp;spn=0.023731,0.026093&amp;t=p&amp;z=15&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></p>

<p>最新の建築技術の集大成であっても、厳しい自然は容赦なく襲いかかる。</p>

<p>この地図では、トンネル箇所に分岐があることがわかる。これは2002年7月に発生した水害によるもので、計四箇所のトンネルと鉄橋が破棄されている。図中、直線的に走る道路が破棄されたもの、山中を南に大きく迂回する道路が現在のものである。両者の分岐地点はトンネル内に設けられており、Wikipediaで<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83 %AB:Curved_point_in_Kibitaki_Tunnel.jpg">写真</a>を確認することができる。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MON8LpOi2hU5kDdN0B0x5dQ3TO41ua8lllq0uWUuHOWCp7I3t1nWSW6z1b15G6U1uF0ETt1s0S87P40plYS3y"></iframe></p>

<p>甲子温泉付近の地形図を示す。<br />
現時点（2009年2月）では、開通した国道は工事中の記号で表されている。何気ない地図の一幅でも、このようにして時代を語り継ぐことはできる。</p>

<p>点線で表された道路（幅員1.5メートル未満の道路）が、未開通区間を縫うように繋いでいる。自動車が通行不能な国道がしばしば<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E7%B7%9A%E5%9B%BD%E9%81%93">「点線国道」</a>と呼ばれるのも、地図記号に由来する。</p>

<p>点線国道自体は珍しいものではないが、この国道 289号の未開通区間（正確には代行区間）は、<a href="http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/4380/kokudo/picture1.3.html">登山道に掛けられた国道標識</a>が醸しだす違和感がマニアの間で有名だった。甲子トンネル開通後、この標識も撤去されたと聞く。<br />
点線国道の名残りを惜しむべきなのか、そもそもこんな山道に国道標識がある方が異常だと考えるべきなのか。</p>]]>
        
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    <title>古代の歴史の重み【太宰府】</title>
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    <published>2009-02-13T21:43:30Z</published>
    <updated>2009-02-13T21:44:15Z</updated>

    <summary> 博多から鳥栖、久留米に至る地域が九州地方の心臓部にあたる、と言っても過言ではないと思う。 中心都市・福岡のベッドタウンとして開けているということもあるが、ベッドタウンだから開けたというわけではない。...</summary>
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        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=33.51122586&amp;lon=130.51747357&amp;sc=10&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=33.5095388&amp;hlon=130.526223&amp;s=1233190263a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>博多から鳥栖、久留米に至る地域が九州地方の心臓部にあたる、と言っても過言ではないと思う。<br />
中心都市・福岡のベッドタウンとして開けているということもあるが、ベッドタウンだから開けたというわけではない。<br />
ベッドなどという寝具が日本に存在しなかった頃から、筑紫野は九州地方、いや日本全体において非常に重要な地位を占めていた。</p>

<p>今回は、日本の歴史を少しでも勉強した者ならば、誰でもその名を知っている<strong>太宰府</strong>を紹介したい。<br />
こんな小縮尺の地図でも、歴史を物語る遺稿が数多く残されていることが伺える。これから紹介する予定の大縮尺の地図では、もっと多くのものが見えるはずだ。<br />
地理と歴史の両方に興味のある、ぼくのような者にはたまらない読図になるに違いない。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOM0LlMglhckU5PnmdBb8p5h3TT41uaH8ddqWuWUuHOWCp7I3t0uGEG3V0o0YW3y"></iframe></p>

<p>しかし、現代で太宰府といえば天神様こと太宰府天満宮の方が有名だろう。</p>

<p>全国の天満宮は、この太宰府の地に左遷された菅原道真の祟りを鎮めるために建設されたものだ。全国で最初に造られたのが太宰府天満宮だったかどうかは定かではないが、Wikipediaの記述を見る限りでは京都の北野天満宮より古いようだから、きっと最初のものだろう。</p>

<p>地名に注目してみると、天満宮のある宰府の他に連歌屋、五条、観世音寺、三条など、いわくありげな地名がずらりと並んでいるのがわかる。<br />
地名辞典を調べれば何か判ると思うのだが、あいにく手元にない。ここから先は郷土の研究家に委ねたい。</p>

<p>天満宮の南方には九州国立博物館と歴史資料館が見える。なかでも<a href="http://www.kyuhaku.jp/">九州国立博物館</a>は、天満宮の境内と肩を並べるほどの大きさがある。日本の表玄関として大陸と向き合ってきた大宰府の歴史も、きっとここに納められているのだろう。<br />
ぼくは博物館巡りにはあまり興味を持たない方だが、この博物館には行ってみたい気がする。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOM0LlMgRXSXQ1MFUhWn2sR1jjY0xnbKKKQWSlFSdhG6Q3e1x0uGEG3V0o0YS3y"></iframe></p>

<p>天満宮を離れて、大宰府跡に向かおう。</p>

<p>ちなみに、当時の組織・施設には大宰府、地名・社名には太宰府の字が当てられている。ぼくも区別するように一応注意している。</p>

<p>南に面して建てられている点が、平城京や平安京を彷彿とさせる。<br />
平城京や平安京は八世紀のものだが、大宰府は七世紀にこの地に造られたのだから、歴史の物差しでは大きな違いはないと言ってよい。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOM0LlMWN8MiQq2hUUbnQj2sbb1jk20xnapKKRGSlFSdhG6Q3e0z0EK3_0slCl8f0~G"></iframe></p>

<p>大宰府は663年の現在の位置に移された。それまでの大宰府は博多、つまり海に面した位置にあったのだ。<br />
663年とは、<ruby><rb>白村江</rb><rp>(<rt>はくすきのえ</rt><rp>)</ruby>の戦いで日本・百済の連合軍が敗れた年である。</p>

<p>もちろん、白村江の敗戦と大宰府の移転には密接な関係がある。<br />
朝鮮半島を制した新羅、ひいてはバックに付いている唐との戦争を危惧した天智天皇（当時は中大兄皇子）の命によって、つまりは国防のために大宰府を内陸部に移し、さらに防塁として<strong>水城</strong>を築いたのであった。</p>

<p>九州自動車道、国道3号線、西鉄などの近代交通機関は水城跡を易々と越えているが、古代の防塁は現代もなお、青々とした緑を従えて威容を誇っている。</p>

<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=33.5162009&amp;lon=130.49768286&amp;sc=4&amp;mode=aero&amp;pointer=on&amp;home=on&amp;hlat=33.5095388&amp;hlon=130.526223&amp;s=1233190798a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>]]>
        
    </content>
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    <title>観光都市にはLRTがよく似合う【函館】</title>
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    <published>2009-02-06T22:12:27Z</published>
    <updated>2009-02-06T22:21:30Z</updated>

    <summary>今年は函館開港150年にあたる。 横浜や下田のように、首都圏に近く黒船にゆかりのある港に注目が集まっているが、函館（当時の表記は箱館）も同年（1859年）の開港である。 ぼくがはじめて北海道観光のガイ...</summary>
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        <![CDATA[<p>今年は<a href="http://www.hakodate150.com/">函館開港150年</a>にあたる。<br />
横浜や下田のように、首都圏に近く黒船にゆかりのある港に注目が集まっているが、函館（当時の表記は箱館）も同年（1859年）の開港である。</p>

<p><br />
<script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=41.77843351&amp;lon=140.79369293&amp;sc=9&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=41.7661111&amp;hlon=140.732508&amp;s=1231830008a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>ぼくがはじめて北海道観光のガイドブックを買ったのは、もう何十年前のことになる。<br />
観光目的で飛行機に乗るのは贅沢で、北海道に渡るのは連絡船が当たり前だったあの頃、<strong>函館</strong>の町は北海道観光における不動の地位を占めていた。<br />
修道院や五稜郭のように開港の歴史を語る史跡をはじめ、夜景に代表されるエキゾチックな町並みや、大沼のような自然がすぐ近くにあることなど、観光地としての函館の価値は当時も今も何ら変わることがない。</p>

<p>しかし、対岸の青森市よりも多かったという函館市の人口は、ぼくが買ったガイドブックに記載されていた数値と比べても<a href="http://www.hospital.hakodate.hokkaido.jp/byoinkyoku /byouin_shiryou.pdf">一割近く減ってしまった</a>が、逆に函館市周辺の自治体は少しずつ人口が増えている。平成の大合併により、函館市に隣接して北斗市が誕生したのも記憶に新しい。</p>

<p>時代とともに変わっていったのは、交通手段と観光客の嗜好だろう。<br />
北海道の玄関口は、函館ではなく千歳に取って代わられた。観光客は函館を飛び越え、広大な道央や道東をバスやレンタカーで走り回る。</p>

<p>それはそれで構わないのだけれど、函館への交通にはどんな未来が待っているのか不安になる。<br />
もちろん、北海道新幹線が2015年度に開業した後のことも。</p>

<p><br />
<iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWM0LlMtN5OXQXR1M7bgAfWjNJlRgtWFCfP5547v"></iframe></p>

<p>函館の郊外に<strong>湯の川</strong>という温泉街がある。<br />
都市近郊の温泉地はよく奥座敷と称され、ここ湯の川にも「函館の奥座敷」という名が付いているが、奥座敷と呼ぶほど市街から離れてはいない。<br />
すぐ近くに函館競馬場がある。五稜郭やトラピスチヌ修道院なども、少し距離があるが行けないことはない距離だ。観光資源に恵まれた町だと、つくづく思う。</p>

<p><br />
<iframe width="640" height="480" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;ll=41.779057,140.796833&amp;spn=0.026882,0.053043&amp;z=14&amp;output=embed&amp;s=AARTsJqzARj-Z8VnW5pkPMLMmZbqrJcYpw"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;ll=41.779057,140.796833&amp;spn=0.026882,0.053043&amp;z=14&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></p>

<p>温泉街の東方約2kmの地点に函館空港がある。<br />
NAVITIMEのルート検索によると、函館市交通局の湯の川電停から空港ターミナルまでは約4kmとのこと。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
モータリゼーションによる都市の空洞化を見直す動きとして、<a href="http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/lrt/lrt_index.html">LRTの導入支援</a>が検討されているという。<br />
函館市交通局でも、現在は湯の川止まりになっている路面電車を函館空港まで延伸しようという計画が持ち上がったことがあるそうだが、予算や採算の問題により棚上げになっているらしい。</p>

<p>誰が何の導入支援をするつもりなのか知らないが、空港と市街を直結するための、たった2kmや4kmの延伸すらできないのか。<br />
欧州の諸都市のように、一旦路面電車が廃止された町や路面電車の歴史のない町に新しくLRT網を構築するという話ではない。現役の路線が存在する都市での話だ。</p>

<p>現状のままで2015年度に新幹線が開業したところで、路面電車はほとんど何の恩恵も受けないだろう。空港のように綺麗に整備された新函館（仮称）の駅前から観光バスで市街地巡り、というのが妥当なところではないか。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
五稜郭南方からJRの路線に乗り入れて、上磯や新函館と旧市街・函館空港を結ぶLRT網にしてはどうだろう。<br />
費用の他に電化や軌間などの問題も生じるが、欧州のLRT網は、これらの問題を一つ一つ解決した上に成り立っているはずなのだ。<br />
LRTによる郊外までを含めた地域ネットワーク網を構築するという前提では、函館は社会実験の格好の場所だと思うのだが、いかがだろうか。<br />
採算性を問題にするのは当然だろうが、現在の路線を維持しているだけでは路面電車に将来などない。それに、公共交通にそこまで採算性を求めるのならば、ノスタルジックな感情は一切抜きにして路面電車は即刻廃止すべきだという結論になってしまう。</p>

<p>それとも、LRT導入支援なぞ夢物語だというのだろうか。<br />
いずれにせよ、できない理由をいろいろ並べ立てて夢をつぶすのは、夢を実現するよりも簡単にできることは間違いない。<br />
ぼくがガイドブックを買った頃には夢物語でしかなかった青函トンネルに、新幹線が通る日がいくか来る。<br />
北海道新幹線のニュースを耳にするたびに、ふと、こんなことを考える。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>半島の二つの顔【伊方】</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2009/entry000017.html" />
    <id>tag:kimiseka.com,2009://1.17</id>

    <published>2009-01-30T15:33:59Z</published>
    <updated>2009-01-30T15:39:12Z</updated>

    <summary>詳しい地図で見る 日本一細長い半島は、どこにあるだろうか。 実際に決めようとすれば、まず「細長い」の定義から入る必要があるだろう。長い方がいいのか、それとも細い方がいいのか、ゼンマイのように丸まってい...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=33.49457056&lon=132.34879279&sc=12&mode=map&pointer=off&s=1227168503a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=33.49457056&lon=132.34879279& amp;sc=12&mode=map&pointer=on'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p>日本一細長い半島は、どこにあるだろうか。<br />
実際に決めようとすれば、まず「細長い」の定義から入る必要があるだろう。長い方がいいのか、それとも細い方がいいのか、ゼンマイのように丸まっている野付半島のようなのはダメなのか。収拾がつかなくなること請け合いである。<br />
したがって、半島「細長い」かどうかは私の独断で決めさせていただくことにする。それでも、四国の西端から豊後水道に向かって針のように伸びる佐田岬半島を日本一「細長い」半島に認定しても、文句を言う人はあまりいないように思われる。</p>

<p>この半島の付け根に、<strong>伊方</strong>という町がある。全国版のニュースでも度々取り上げられる地名なので、聞いたことがある方も多いと思う。なお、地図では半島全体が伊方町になっているが、これは半島中部の瀬戸町、先端部の三崎町と2005年に合併したためであることを付け加えておく。</p>

<p>今回は伊方町の町域に限定することなく、周辺部を含めた地域の特色を紹介したいと思う。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMGLoliMXR1SXQ1M7cejibg8WilRgtWFCeh5Xcb3y"></iframe></p>

<p>見渡せるような大きさの集落を伊方町の中心部と呼ぶのは少し気がひける。しかし、旧・伊方町の頃から町役場など主要な公共施設が集中しており、実際に伊方町の中枢として機能しているのだから、妥当であろう。<br />
町役場や図書館は地図上では素っ気ない記号で記されているが、<a href="http://www.town.ikata.ehime.jp/yakuba/">実物</a>は人口一万余（合併後の統計）の町の公共施設とはとても思えない、都心のオフィスビルのように輝く建物だ。</p>

<p>町役場の対面には、これまた立派な町民会館がある。興味があれば、原子力発電にかんする説明を聞くこともできる。伊方という地名を、四国電力の原子力発電所でしか知らないという方が案外多いのではないだろうか。町役場や町民会館が立派な理由も、おおよそ想像がつく。<br />
なお、町民会館一階の案内パネルによると、伊方町だけで四国の電力の四十パーセントを供給しているという。</p>

<hr />

<p>地図に戻る。<br />
国道197号が、町中心部の上方をすり抜けるように走っている。町役場の西にある丸岡トンネルとの標高差は約50mに達し、町役場付近から国道を通って三崎方面に行くには、狭く曲がりくねった道路をはい上がるか、東側の比較的広い道路を選んで迂回するしかない。<br />
また、丸岡トンネル・城の台トンネル付近は道路が並行して走っているが、これまた標高差が50m近くある。国道から半島北部に抜けるルートは、二つのトンネルを経由して2km近くの迂回になる。</p>

<p>中央構造線に近いためか地盤が脆く、かつ平地がほとんどない佐田岬は、道路網整備が難航を極めた地である。<br />
細い半島の尾根を縫うように国道197号線が切り開かれたのは、そんなに遠い昔のことではない。この区間は佐田岬メロディーラインと呼ばれており、伊方から三崎までドライブする間には、車窓からの海が左へ右へと位置を変える。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="720" height="445" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMGLpMXS1Qmj5OyvOBI05j2uN1jjY0xnelM6MGFp"></iframe></p>

<p>伊方町が四国の電力の四十パーセントを供給していると書いたが、伊方町の発電施設は原子力発電所だけではない。</p>

<p>この地図では、風車の記号が林立している。<br />
両側を海に囲まれ、高い山のない佐田岬半島は、強い風が吹くことで知られる。この風を利用した風力発電が行われている。</p>

<p>ちなみに、<a href="http://www.town.ikata.ehime.jp/">伊方町のウェブサイト</a>には「風車のまち」というフレーズが付けられている。<br />
「原子力のまち」にしないのは、原子力のイメージが悪いからだろうか。業者に委託したと思われる美しいウェブサイトを眺めながら、そんなことを思う。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="720" height="445" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMGLorm2q2hUzOMWBY8p5n3TQ41uaIWhBwlVd"></iframe></p>

<p><a href="http://www.skr.mlit.go.jp/road/rstation/station/kirarakanb.html">道の駅伊方きらら館</a>付近を拡大した。<br />
北方には物々しい伊方原子力発電所が見える。</p>

<p>土地利用のあり方に着目していただきたい。<br />
果樹園の記号がびっしりと描かれている（言うまでもなくミカン等の柑橘類であろう）が、分布が南側斜面に偏っている。日照の違いによるものだろうが、地形図レベルでこのように明確な線として観察できる場所は、そう多くはない。貴重な地図だと思う。</p>

<hr />

<p>写真は伊方町に隣接する旧・保内町（現・八幡浜市）の、国道197号線から撮ったものだ。<br />
山の斜面のはるか上までミカンが植えられている。見上げるような高所に、採果の軽トラックが何台か停まっている。</p>

<p>こたつの中でぬくぬくと食べるミカンは、こんな苦労をして作られているのだと、あらためて思う。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="honai.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/honai.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>]]>
        
    </content>
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    <title>コラム：「かんぽの宿」売却について</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2009/entry000016.html" />
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    <published>2009-01-23T23:04:25Z</published>
    <updated>2009-01-23T23:14:08Z</updated>

    <summary>大きな地図で見る 大阪府富田林市と聞いても、大抵の人はどんな町かイメージできないと思う。 大阪府の南東部、丘陵地に開けるベッドタウンである。ベッドタウンは新興の住宅地が大半を占め、観光資源は比較的少な...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width="640" height="480" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=34.499678,135.597006&amp;spn=0.812606,1.235962&amp;z=10&amp;output=embed&amp;s=AARTsJqzARj-Z8VnW5pkPMLMmZbqrJcYpw"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=34.499678,135.597006&amp;spn=0.812606,1.235962&amp;z=10&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></p>

<p>大阪府富田林市と聞いても、大抵の人はどんな町かイメージできないと思う。<br />
大阪府の南東部、丘陵地に開けるベッドタウンである。ベッドタウンは新興の住宅地が大半を占め、観光資源は比較的少ないというのが通説であるが、ここ富田林市には「かんぽの宿」がある。</p>

<p><iframe width="640" height="480" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=34.465063,135.595751&amp;spn=0.007519,0.013261&amp;t=h&amp;z=16&amp;output=embed&amp;s=AARTsJqzARj-Z8VnW5pkPMLMmZbqrJcYpw"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;ll=34.465063,135.595751&amp;spn=0.007519,0.013261&amp;t=h&amp;z=16&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></p>

<p>「かんぽの宿 富田林」の立地を、地図で示した。<br />
縮尺をこれより小さくするとアイコンが表示されなくなってしまう。どんな場所にあるのか詳しく知りたい方は、各自地図を操作して確認していただきたい。<br />
都市近郊の農地を淡々と走り、どこにでもありそうな丘の一つに付けられた山道を、ひたすら登る。最寄り駅からは道路距離で5km以上離れている上、路線バスが通じているわけではないから、事実上マイカーで訪れることになるだろう。</p>

<p>「かんぽの宿」の売りの一つである大浴場からは金剛山を望むことができるが、特に金剛山に近いというわけでもない。なお、富田林市は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%94%9F%E9%A7%92%E7%B4%80%E6%B3%89%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%85%AC%E5%9C%92">金剛生駒紀泉国定公園</a>の区域に指定されてはいない。</p>

<p>これでも、全国に散在する「かんぽの宿」の中では比較的利用率は高い方に属する。大都市圏に近く家族ぐるみで泊まれる「公共の宿」として人気があるらしい。ぼくが訪れたのはオフシーズンの平日の昼間だったが、周辺から日帰り温泉を利用する客層でかなり賑わっていた。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
「かんぽの宿」の立地は、全国どこでも似たようなものらしい。<br />
<a href="http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.97219439&lon=138.92761281&sc=5&mode=map&pointer=on&home=on&hlat=34.97321389&hlon=138.94999694">修善寺</a>は、温泉街から2km近く離れている。<a href="http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.84706795&lon=132.79856361&sc=6&mode=map&pointer=off&home=off&hlat=33.83585&hlon=132.7681819">道後</a>は、本館のある温泉街中心部から直線距離で2km以上離れた位置にあり、周辺は住宅地である。<br />
「一にロケーション、二にロケーション、三にロケーション」とはヒルトンの言葉だったと記憶しているが、「かんぽの宿」においては便利さを捨てて広さ・安さを重視した結果の現状であると言える。</p>

<p>「かんぽの宿」の一括売却方針にかんしては、国会までを巻き込んだ問題となっている。<br />
全施設をまとめて売りさばくのではなく、地元の業者が運営するのが理想だという。そりゃそうだろう。ぼくだってそう思う。<br />
経営状態が良好な施設は、バラ売りしたとしても買い手がつくだろう。しかし、そうでない施設はどうなるのか。経済が疲弊している地方で、億単位の施設を買い取って良好に経営できる能力のある企業が、果たしてどれだけあるのか。<br />
赤字を垂れ流す公共施設は、切り売りに出して買い叩かれるのが関の山だろう。そうして買い叩かれた金額の総和は、「出来レース」と称された企業が提示した金額と比べて多くなるのかどうか。</p>

<p>ぼくはどちらの肩も持つつもりはないけれど、これだけは言っておく。<br />
処分（売却）すると決めたのであれば、ソロバン勘定に徹していただきたい。<br />
そして、処分せざるを得なくなる程の経営をしていたのはいったい誰の責任なのか、肝に銘じてもらいたい。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kampo_tondabayashi.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/kampo_tondabayashi.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>写真は同施設の外観。参考として付けておく。<br />
取り付け道路の状況から、急勾配の地に造られていることは見てとれると思う。</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>絶景を眺め、絶壁をゆく【大瀬・戸田】</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2009/entry000015.html" />
    <id>tag:kimiseka.com,2009://1.15</id>

    <published>2009-01-16T22:15:29Z</published>
    <updated>2009-01-16T22:23:46Z</updated>

    <summary> 伊豆が国内観光スポットとして不動の地位を占めているのは、何も首都圏からのアクセスが便利だという理由だけではないだろう。 さほど広いとはいえない伊豆半島においても、東伊豆、中伊豆、西伊豆のそれぞれに異...</summary>
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        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=34.98845569&amp;lon=138.81084579&amp;sc=10&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=35.09681289666861&amp;hlon=138.85057305290124&amp;s=1229305232a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>伊豆が国内観光スポットとして不動の地位を占めているのは、何も首都圏からのアクセスが便利だという理由だけではないだろう。<br />
さほど広いとはいえない伊豆半島においても、東伊豆、中伊豆、西伊豆のそれぞれに異なる特色と魅力を兼ね備えている。とにかく、何度訪れても飽きることがない。Wikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92">記述</a>によれば、富士箱根伊豆国立公園全体での年間観光客数は一億人を超えるとのことだ。</p>

<p>伊豆へのアクセスは一様に便利だというわけではなく、特に西伊豆方面へのアクセスはお世辞にも便利とは言えない。金山で知られる<ruby><rb>土肥</rb><rp>(<rt>とい</rt><rp>)</ruby>より北の海岸は狭く険しい道が多く、自動車でのアクセスにも苦労する。<br />
しかし、いや、だからこそ、苦労してでも訪れる魅力がそこにはある。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MON0LlMxQXQDf5OxBLC5W2nW1SchWsNH0UPL4SSOFp"></iframe></p>

<p>伊豆半島の西北端に<strong><ruby><rb>大瀬</rb><rp>(<rt>おせ</rt><rp>)</ruby>崎</strong>という小さな砂州がある。<br />
この小さな砂州の先端には、さらに小さな神池という池がある。まわりを海に囲まれているにもかかわらず、神池は淡水の池である。神池という名も、恐らくはその神秘性によるものであろう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kamiike.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/kamiike.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>これはぼくの想像でしかないのだが、大瀬崎に神池があるのではなく、実は神池が大瀬崎を作ったのではなかろうか。<br />
海底から湧き出る水の流れは海流による砂礫の流れを変え、何らかの作用によって湧水の周囲に堆積する。長い年月を経て、堆積物は海面上に砂州となって姿を現す。<br />
考えすぎだろうか。しかし、天橋立やサロマ湖にも、砂州の中央に真水の湧く場所が存在するのだ。これらは単なる偶然だろうか。</p>

<p>大瀬崎の南にある丘陵地に、うんざりする長さの石段がある。あるいは、登りつめたところに禅宗の寺があるのではないかとも思うが、残念ながら地図では確認できない。<br />
しかし、大瀬崎のちょうど正面に富士山が見える位置に石段が作られていることは地図で確認できる。神の名に恥じない絶景が得られることは間違いない。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MON0LlMyGi6iQ5O~2OB_5fpll3TT41uaH0hCSGVd"></iframe></p>

<p>大瀬崎から戸田港を過ぎ、かつて金山で賑わった土肥に向けて県道を南下する途中に、こんな所がある。<br />
海岸からそそり立つ断崖の高さは約250m。そんな断崖の上を県道が通っている。<br />
海岸に沿って作られた国道や県道の総延長が何万キロになるのか知らないが、250mもの高さがある絶壁の上に通されている箇所が他にあるだろうか。足がすくみそうな道路である。</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>「魔の山」は何故できたか【谷川岳】</title>
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    <id>tag:kimiseka.com,2009://1.14</id>

    <published>2009-01-09T20:46:39Z</published>
    <updated>2009-01-09T20:58:17Z</updated>

    <summary> 上越新幹線の愛称にもなるのだから、登山者でなくても谷川岳の名は大抵の人が知っているだろう。登山者であれば、谷川岳の名を知らない者は一人としていないはずである。 標高2,000mに満たないながら、美し...</summary>
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        <name>kimiseka</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kimiseka.com/">
        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=36.84303035&amp;lon=138.99994881&amp;sc=13&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;hlat=36.67557389&amp;hlon=139.00219&amp;s=1231138483a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>上越新幹線の愛称にもなるのだから、登山者でなくても<strong>谷川岳</strong>の名は大抵の人が知っているだろう。登山者であれば、谷川岳の名を知らない者は一人としていないはずである。</p>

<p>標高2,000mに満たないながら、美しくも峻険な山容には人を惹きつける魅力がある。日本百名山に名を連ねている山の中で、アクセスがもっとも便利なのもの谷川岳である。麓には水上や湯沢といった、全国屈指の温泉地も控えている。<br />
これらの好条件が揃っていることから、日本の近代登山の歴史において谷川岳は常に不動の地位を築いてきたし、これからもその地位を他の山に譲ることはないだろう。</p>

<p>谷川岳は、もう一つの有名な顔を持っている。<br />
登山史が始まって以来の遭難による死者は、実に700名を超える。世界一といわれる遭難者の記録もまた、谷川岳がある限り破られることはないと思う。</p>

<p>谷川岳はなぜ「魔の山」なのだろうか。<br />
もちろん、谷川岳が登山者やクライマーにとって人気の山であることと無縁ではないだろう。<br />
では、登山者やクライマーに立ちはだかる谷川岳とは、一体どのような山なのだろうか。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MON0LlN8MdMalg7XR9dcfhn0sN10UPHf8B3307v"></iframe></p>

<p>谷川岳の表玄関、群馬県側の土合駅付近を拡大した。</p>

<p>かつては特急が頻繁に通っていた大幹線・上越線も、輸送の主力が上越新幹線に完全にシフトした今は、一日わずか五往復の閑散とした路線である。新潟県側に多くのスキー場があるためか、臨時列車が走る冬季の方が賑わっている。<br />
駅が上下線で分離しているのも鉄道マニアには有名な話で、下り線ホームは新清水トンネルの内部に設置されており、地上とは<a href="http://www.geocities.jp/tsubasa131/travel13.htm">486段もの階段< /a>で結ばれている。水平距離にしても400m近くに及ぶ通路が、地形図上にもはっきりと記されているのがわかる。</p>

<p>上越線と並走する国道291号線は土合駅の先から急に狭くなり、一ノ倉沢の駐車場から先は自動車の通行ができない、いわゆる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E7%B7%9A%E5%9B%BD%E9%81 %93">点線国道</a>になっている。<br />
上越間を結ぶ国道17号線や関越自動車道が立派に整備されているのだから、この国道 291号線の点線国道区間が完全に放置されているのを不思議に思う方もいるだろうが、かつて清水街道と呼ばれた道路が明治十八年（1885年）に全通してからわずか半年で崩落したという<a href="http://shinzui.road.jp/291/route291.html">歴史</a>から察すると、峠越え区間の工事は放棄したという意思表示なのだろう。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MON0LlN8MGMWMywXM7Wi_pMGM2i8DqxG7bKQZFFE3y"></iframe></p>

<p>谷川岳と一ノ倉岳の山頂・斜面付近を拡大した。<br />
詳細はほとんど読み取れないだろうから、ここでは等高線の密度を何となくつかんでもらえれば充分である。</p>

<p>等高線の密度が東側（群馬県側）と西側（新潟県側）とで明らかに違うのがわかるだろうか。<br />
このように極端な傾斜の違いが生じた原因は、上越国境に降り積もる豪雪と関係があるらしい。斜面の浸食の強さは、斜面の勾配に比例して大きくなる。浸食によってできた急傾斜がさらに浸食をよび、格差はますます広がっていく。西側の斜面が比較的緩やか（それでも結構な傾斜になっているが）であるのに対し、東側がほぼ断崖絶壁となっているのは、概ねこの作用による。<br />
そうして形成された断崖絶壁が、クライマーを惹きつける。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
ところで、谷川岳で遭難するのは、何も初心者だけではない。名だたるアルピニストの多くもまた、そそり立つ岩壁に挑んでは、消えていった。<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582765254/kimiseka-22 /ref=nosim/">『谷川岳に逝ける人びと』</a>という本には、こんな一節がある。</p>

<blockquote>

<p>好きな山で死んだのだからという言葉は何一つ親にとって慰めの言葉ではない。<br />
親となり子と生れた切っても切れない血の通う身にとって、誰が山で死なせようと希うであろう。</blockquote></p>

<p>子の遭難を望む親が一人もいないように、遭難するつもりで登山する子も、ただ一人としていないに決まっている。それでも、遭難は起きる。</p>

<p>人はなぜ、山に登るのだろう。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>二つの湖と幻の巨大魚伝説【池田湖・鰻池】</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2008/entry000013.html" />
    <id>tag:kimiseka.com,2008://1.13</id>

    <published>2008-12-20T13:02:47Z</published>
    <updated>2008-12-20T13:04:44Z</updated>

    <summary>詳しい地図で見る 日本列島はほぼ全域が火山帯に属するといっても過言ではないと思うが、そんな日本列島のなかでも特に火山活動が活発な地域がある。 鹿児島県本土から薩南諸島に連なる一帯は、かつて霧島火山帯と...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=31.21571364&lon=130.58309799&sc=9&mode=map&pointer=off&s=1225969612a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=31.21571364&lon=130.58309799&sc=9&mode=map&pointer=off'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p>日本列島はほぼ全域が火山帯に属するといっても過言ではないと思うが、そんな日本列島のなかでも特に火山活動が活発な地域がある。<br />
鹿児島県本土から薩南諸島に連なる一帯は、かつて霧島火山帯とよばれていた。科学的根拠に乏しいという理由により、現在ではこの用語はあまり用いられないらしいが、霧島、桜島、薩摩硫黄島のように激しい火山活動を続けている山々が並んでいるところを目のあたりにすると、一括りにしたくなる気持ちもわかる。</p>

<p>これから紹介する<strong>池田湖</strong>と<strong>鰻池</strong>は、そんな「霧島火山帯」の直線上に位置する。<br />
火山のお手本のような美しい円錐形の開聞岳をはじめ、この地図上に記されている山の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%96%A9%E7%81%AB%E5%B1%B1%E7%BE%A4">ほとんどが火山</a>である。二つの湖が円形をしているのも、もちろん火山活動に由来がある。<br />
ただし、二つの湖は、その成因がやや異なるらしいのだが。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOM0LlMdMoliDQ2hUQb2nFN1Rbi0sNX0UPHdBX5547v"></iframe></p>

<p>自然にできた湖沼の多くは、その湖底の地形を等高線（正確には等深線）で確認することができる。実際に何かの役に立つのかどうかは知らないが、おかげで地図を眺める楽しみができるというものだ。</p>

<p>池田湖の湖底は、起伏に富んだ複雑な地形をしていることがわかる。<br />
池田湖は<strong>カルデラ湖</strong>、つまり火山活動の結果陥没した土地に湖水が溜まったものだ。火山地形として珍しいものではないし、カルデラの規模もさほど大きなものではないから、特筆することはないのかもしれないけれど、それでもこれだけの地形を作ってしまう火山活動とは、人間の力など遠く及ばない、凄いものだとあらためて思う。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="720" height="445" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOM0LlMpGi0iy1S1M7beWhe3lNA8BK6vz83oADTHHH1zW"></iframe></p>

<p>鰻池の方は小ぢんまりとしている。また、全体がすり鉢状になっており、湖底の起伏もほとんどない。<br />
この鰻池は<strong>火口湖</strong>である。</p>

<p>二つの湖が至近距離にあるおかげで、ぼくはカルデラ湖と火口湖の違いを覚えることができた。<br />
美麗な開聞岳に負けない、素晴らしい教材をぼくたちに提供してくれていると思うのだが、どうだろうか。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p>池田湖には、全長2mにも達する大ウナギが生息しているという。<br />
<a href="http://4travel.jp/traveler/onsensuki/album/10197084/">写真</a>を見たが、実際かなり大きい。本当にこんなのが湖底をヌタヌタを泳いでいるのだろうか。</p>

<p>では、ウナギの名を冠した鰻池の方はどうかというと、かつてはウナギの養殖が行われていたそうだが、現在は終了。ウナギが生息しているかどうかは、定かではない。</p>

<p>池田湖にはウナギがいて、鰻池にはウナギはいない。どういうことなのか。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>極限の地の魅力【美深】</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2008/entry000012.html" />
    <id>tag:kimiseka.com,2008://1.12</id>

    <published>2008-12-12T21:19:37Z</published>
    <updated>2008-12-12T21:23:42Z</updated>

    <summary> 北海道の最果てともなれば、通りすがりの人も少なくなってくる。だから、美深という地名を車窓のアナウンスで聞いただけだという人はほとんどいないだろう。 したがって、世の中の人は、美深という地名を全く聞い...</summary>
    <author>
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        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=44.47865226&amp;lon=142.34678463&amp;sc=13&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;s=1228718576a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p>北海道の最果てともなれば、通りすがりの人も少なくなってくる。だから、<strong>美深</strong>という地名を車窓のアナウンスで聞いただけだという人はほとんどいないだろう。<br />
したがって、世の中の人は、美深という地名を全く聞いたことがない人と、美深にかんする情報までを含めて知っている人とに大別される。いわゆる、知る人ぞ知る、という状態だ。</p>

<p>では、美深のことをどのくらい知っているのだろうか。<br />
これから、ぼくが美深にかんして知っていることの、ほとんどすべてを記すことになるだろう。<br />
ひとことで表すならば、美深は魅力いっぱいの厳しい土地だということだ。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWMGLlMRliQqf5OyvPtBXK5nZC3TT41ua6mWhCxlVd"></iframe></p>

<p>美深町の市街地付近を拡大した地形図である。</p>

<p>市街地の周辺に、わずかではあるが水田の記号がみられる。北海道は日本一の米どころ、という知識はもはや常識の範疇だろうが、道内全域で稲作が行われているわけではなく、ここ美深町付近が<strong>稲作の北限</strong>ということである。大沼一雄の著書にそのような記述があったのを覚えている。</p>

<p>あらためて市街地に目を向けてみると、約五千人の人口しかない町にしては市街地規模が大きい。<br />
これは何も美深町に限った話ではなく、開拓とともに発展した道内の多くの町で、同様の傾向がみられる。<br />
思いつく理由は三つほどある。広い土地を活かして市街地が大きく作られていること、市街地の集約率が高いこと。過疎化が進み人口が減少しても家屋は人口に比例して減少しないこと。</p>

<p>二番目の理由には少し説明を要する。<br />
市街地を離れてもだらだらと人家の続く内地とは異なり、町と町の間は無人地帯、といったケースが道内では珍しくない。つまり、道内では中心地に人口の大半が集中しているのだ。人口五千の美深町の市街地規模は、内地の人口二万の町の市街地に匹敵するだろう。</p>

<p>厳しすぎる自然が、寄り集まって暮らす町を作らせたのだろう。<br />
Wikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%B7%B1%E7%94%BA">記述</a>によれば、美深町は1935年にマイナス41.5℃を記録している。これは<strong>最低気温</strong>の日本記録になる。<br />
ただし、極寒の地というわけではない。同じ年ではないものの、美深町は最高気温36℃を記録したこともある。77.5℃に達する<strong>気温較差</strong>も、美深町が持つ日本記録の一つである。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWMGLlMdMtMUTXMFUhUfYj2t1jjY0xnZPWM6E8Fp"></iframe></p>

<p>日本一が出たついでに、もっとも有名な「美深町の日本一」の話をしよう。</p>

<p>1985年まで、美深駅から東方に<strong>美幸線</strong>という鉄道路線が延びていた。「日本一の赤字線」として全国ニュースにも度々取り上げられたから、鉄道ファンでなくても知っている人はいるのではないだろうか。<br />
廃止から二十年以上が経過していることと、河川改修工事などで市街地寄りの区間には路盤が掘り返されている場所もあることから、現在の地形図から当時の線路跡を見出すのは容易なことではない。ただし、終点の<ruby><rb>仁宇布</rb><rp>(<rt>にうぷ</rt><rp>)</ruby>駅側は、路盤のみならず線路も残されている。</p>

<p>この区間は<a href="http://torokko.co.uk/">観光用トロッコ鉄道</a>として、第二の人生を送っている。糠平の回でも旧・士幌線の観光トロッコを紹介したと記憶しているが、大赤字区間であるが故に路盤の撤去もままならず、結果的に観光路線としての立ち上げが容易になったのは不思議な縁と言わざるを得ない（もっとも、その道のりは決して容易なものではないと思うが）。</p>

<p>図中の記念碑の記号は、言うまでもなく旧・仁宇布駅の跡である。現在は観光トロッコの起点かつ終点の、コタンコロ・カムイ駅となっている。<br />
線路はここで途切れているが、この線路を図上で延長すると、学校（仁宇布小中学校）の北方にある不自然な盛土にぶつかる。遂に開通することのなかった旧・美幸線の恨めしい延長区間は、旧・歌登町方面へ延々と続いている。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bifuka.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/bifuka.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>仁宇布集落の南には、<strong>富士重工美深試験場</strong>がある。山中をクネクネと走るコースは、どうやら寒冷地での走行試験用らしい。</p>

<p>ところで、東北東－西南西方向に作られた、2,000mの長さに及ぶ構造物は一体何だろう。<br />
小型機の滑走路だろうか。そして、自動車メーカーの多忙な役員や研究員を、旭川や新千歳まで運んだりするのだろうか。<br />
美深試験場に電話すれば教えてもらえそうだが、もちろんそんな野暮なことはしない。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWMGLlMdN8N0LZsr2l1R0hrLlRgOWFCdqb2207v"></iframe></p>

<p>健在だった頃の美幸線のキャッチフレーズは「日本一の赤字線美幸線にのって秘境松山湿原へ行こう」というものだった。<strong>松山湿原</strong>は仁宇布集落の南方にあたる。</p>

<p>湿原周辺には森林限界の代表といわれるハイマツの記号がある。本州では日本アルプスの山頂付近まで登らなければ見られない。それだけ寒い、ということだ。<br />
ここより5kmほど南方には、また別の秘境・ピアシリ湿原がある。平坦なコースだが、直通する歩道はない。実際にはハイマツ林は歩きづらいし、それにわざわざヒグマの棲み処に分け入る必要はないだろうが。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
車で行けるのは途中までで、そこから湿原までは相当の距離を歩かなければならない。<br />
秘境の名に恥じない場所にあるとは思うが、鉄道で仁宇布まで連れていった後で湿原まで登らせるのはさすがに無理があるだろう。<br />
しかし、湿原まで行けなくても、魅力的な場所は他にもある。登山道の途中にある仁宇布の冷水は、今年になって<a href="http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/newmeisui/data/index.asp?info=2">「平成の名水百選」に指定</a>された。</p>

<p>「日本一の赤字線」が消えてしまっても、沿線の魅力は消えることがない。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>箱根八里に矢ノ川七里【尾鷲】</title>
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    <id>tag:kimiseka.com,2008://1.11</id>

    <published>2008-12-06T00:25:00Z</published>
    <updated>2008-12-06T00:33:17Z</updated>

    <summary> 尾鷲という地名から、人々が連想するものといえば何だろうか。 「雨の多い町」というのがもっともポピュラーだろうか。少し詳しい人ならば、背後の大台ヶ原山系が多雨をもたらす要因となっていることや、世界遺産...</summary>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kimiseka.com/">
        <![CDATA[<p><script type='text/javascript' charset='UTF-8' src='http://map.yahooapis.jp/MapsService/embedmap/V1/?lat=34.06745688&amp;lon=136.19382302&amp;sc=10&amp;mode=map&amp;pointer=off&amp;home=off&amp;s=1228215015a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e&amp;width=640&amp;height=480'></script></p>

<p><strong>尾鷲</strong>という地名から、人々が連想するものといえば何だろうか。<br />
「雨の多い町」というのがもっともポピュラーだろうか。少し詳しい人ならば、背後の大台ヶ原山系が多雨をもたらす要因となっていることや、世界遺産に指定された熊野古道にも縁のあることも挙げるかもしれない。</p>

<p>ご覧のとおり、尾鷲市街の背後はすべて山に囲まれている。市外、特に南方の熊野市方面に向かう鉄道や国道がことごとく長大なトンネルや山中の隘路となっていることが、この地図からも窺える。鉄道や道路の建設工事は困難を極め、紀勢本線の全通は、この尾鷲－熊野市間が開通する昭和三十四年（1959）まで待たなければならなかった。</p>

<p>これから紹介する地図では、尾鷲が単に「雨の多い町」ではないことを伝えたいと思う。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLlMKGilj7k2hU2pJ1O0jM4PbWRglWFCdqfIIG7v"></iframe></p>

<p>尾鷲市外の沖合に<strong>須賀利町</strong>という集落がある。<br />
渡船の記号があるが、これは尾鷲と須賀利町を繋ぐ一日四往復の<a href="http://www.city.owase.mie.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=1852">巡航船</a>のことである。</p>

<p>だが、巡航船が就航していても、ここは離島ではない。近年開通したと思われる道路によって、隣の紀北町を経由して尾鷲市街に行くこともできる。<br />
それでも、道路が開通する前から、いや、道路が開通した後でも、船の方が便利が良いのだろう。市街から遠く離れた須賀利町が飛び地のような格好で尾鷲市に編入されているという事実が、そのことを物語っている。</p>

<p>九鬼水軍の本拠は熊野灘付近とされる。その証拠とまでは言わないけれど、現在でも尾鷲市域に九鬼という地名が残る。<br />
海路でなければ交通が成り立たなかった地域において水軍が発達したのは、当然のことだったのかもしれない。<br />
<iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLoGiljGiGg7XQ9Wh0N3JwHdDqlG7bKR95543y"></iframe></p>

<p>次は、陸路に目を向けよう。<br />
尾鷲市と田辺市を結ぶとされる、国道425号の起点付近を取り上げてみた。</p>

<p>敢えて「結ぶとされる」と記したのは、この国道が都市間交通の役割を全く果たしていないからである。<br />
Wikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93425%E5%8F%B7">言葉</a>を借りれば<cite>「日本三大酷道路線」</cite>の一つに数えられるというこの国道を踏破しようとする冒険好きは多いらしいが、その<a href="http://route01.com/r425a.html">レポート</a>を見た限りでは半端な状況ではないらしい。</p>

<p>紀伊半島の山中を走る箇所が酷いのはまだわかるとして、この地図を見る限りでは起点の尾鷲市街付近から既に妖しさを漂わせているようだ。<br />
墓地の間を縫うように走る、一車線の国道。全線踏破を狙う冒険家を憂鬱な気分にさせること請け合いだろう。<br />
なお、この区間は西→東の一方通行区間があるため、自動車では<strong>起点から終点に向かうことができない</strong>。なかなか珍しい国道ではある。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLlMK0j7k2hsCB_5fY2pD1RWsN10UPHg0B3FC7v"></iframe></p>

<p>以後は、高規格道路として開通した区間の紹介になる。<br />
ただし、地図からは便利になった交通ではなく、開通前の交通の凄まじさの方を読み取ってしまうのだろうが。<br />
海岸沿いに走る国道311号も、尾鷲市梶賀－熊野市須野の区間が長い間未開通であった。かつて紀伊半島一周のドライブをした際に、この区間を迂回したことを今でも覚えている。</p>

<p>小さな浜に面した集落を完全に無視して、新道が突き抜けている。これは、旧道の拡幅や延長だけでは、この区間を建設することができなかったことを意味する。<br />
全国どこでも見られる光景ではあるが、いつ見ても複雑な心境にかられる。</p>

<p>開通の前と後を撮影した貴重な資料を見つけたので、<a href="http://tabi.road.jp/teiten/R311/R311.html">ここ</a>に紹介する。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMlLoOXRiQpAmtMYOB1Q0x6vt83oAD1SHHH0~G"></iframe></p>

<p>紀伊半島の大動脈・国道42号は山間部を抜けて熊野市に向かう。<br />
これは、矢ノ川峠の手前付近を切り出したものである。</p>

<p>現在はの道路が完成する前の道路がどのようなものだったのかを想像した後で、地図をよく眺めてもらいたい。</p>

<p>国道に並走する、幅員1.5m以上2.5m未満の道路の存在がわかるだろうか。<br />
鉄道の開通からも取り残された区間を、往時はボンネットバスが結んでいたという。性能の良くないバスに乗って、狭い未舗装の峠道を越える苦労はどれ程のものだったろうか。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="owase.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/owase.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>快走路であっても、矢ノ川峠越えは厳しい。この写真は、上図にも記されている覆道付近から峠方面を撮影したものだ。<br />
当日の天候は「雨の多い町」の評価を裏切らなかった。水蒸気に霞む紀伊の山々は写真以上に迫力があり、これから峠へと向かうぼくの気力を削いだ。<br />
「昔は『箱根八里に矢ノ川七里』と言うてなあ」と、沿道の雑貨屋のおばあちゃんはぼくに教えてくれたものだった。後になってこの言葉をネットで探してみたが、まだ見つけられてない。</p>

<p>あれから十年が過ぎた。あの雑貨屋のおばあちゃんが今も健在かどうか、ぼくは知らない。<br />
だが、こうやって峠の厳しさを伝える言葉を後世に残すことができたとしたら、きっとおばあちゃんも喜んでくれると思うのだ。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>秘境駅の周辺環境【坪尻】</title>
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    <id>tag:kimiseka.com,2008://1.10</id>

    <published>2008-11-29T07:56:32Z</published>
    <updated>2008-11-29T08:02:52Z</updated>

    <summary>詳しい地図で見る 人里離れた場所に設置されているがため、いったい誰が使うのかわからない駅のことを、専門用語で秘境駅という。 何の専門用語かときかれても困るが、そういうことになっている。牛山隆信氏のサイ...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=34.0503496&lon=133.82650076&sc=9&mode=map&pointer=off&s=1227233084a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.0503496&lon=133.82650076&sc=9&mode=map&pointer=off'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p>人里離れた場所に設置されているがため、いったい誰が使うのかわからない駅のことを、専門用語で<strong>秘境駅</strong>という。<br />
何の専門用語かときかれても困るが、そういうことになっている。牛山隆信氏のサイト<a href="http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/">『秘境駅へ行こう！』</a>あたりが起源とされる。</p>

<p>最近、この秘境駅がひそかなブームとなっているらしい。<br />
これから紹介する坪尻駅もそんな秘境駅のひとつで、れいの秘境駅のサイトでは全国<a href="http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/tsubojiri.htm">七位</a>にランクされている。先日ついに<a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/life/update/0516/OSK200805150121.html">駅スタンプまで設置された</a>そうだが、そんなものを置いて駅が賑わいでもしたら、秘境駅じゃなくなるんじゃないかと心配になる。</p>

<p>いや、駅というものは本来は賑わうべきだということは知っているけれど。<br />
それに、坪尻駅はどうやっても賑わいそうにないということも知っているけれど。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MRlgWj0hWiWi6XRXM7i90h0Mfof_lDqxG7bK2u___1zW"></iframe></p>

<p>坪尻駅付近の拡大図である。駅前はもとより、周辺にも集落らしい集落が存在しない。<br />
異様に短い間隔で設けられた国道32号線の水準点は、ここが交通の要衝であったことと、猪ノ鼻峠の勾配の厳しさを物語っている。</p>

<p>しかし四国の山中というものは、どんな斜面に人が住んでいるものだと思う。坪尻駅にもっとも近い木屋床集落は、谷底の駅からの標高差が200m程もあるが、鉄道の駅に関係なく、大昔からこのように斜面で生活が営まれていたに違いない。東側の斜面も似たようなもので、隣の箸蔵駅からロープウェイで登る<a href="http://www.hashikura.or.jp/">箸蔵寺</a>など、雲上の世界といった観がある。<br />
坪尻駅は、駅周辺が秘境なのではなく、付近一帯が秘境なのだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tsubojiri.jpg" src="http://kimiseka.com/photos/tsubojiri.jpg" width="640" height="480" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>これは2002年9月に実際に坪尻駅を訪れた際に撮影した写真のうちの、どうということのない一枚である。有名なスイッチバック構造の写真も撮影したのだが、特定可能な人物も一緒に写っているため、プライバシーの問題からここには掲載することができない。</p>

<p>ご覧のように、上りと下りとで停車する列車の本数が大きく異なっている。<br />
利用頻度が極めて低く、しかもスイッチバックという面倒な構造の駅のダイヤは、列車運行の都合を最優先に作られているのではないだろうか。あくまでも、ぼくの想像にすぎないが。</p>]]>
        
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    <title>地図で習わない産業と危険【九十九里】</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kimiseka.com/2008/entry000009.html" />
    <id>tag:kimiseka.com,2008://1.9</id>

    <published>2008-11-21T20:20:08Z</published>
    <updated>2008-11-21T23:31:39Z</updated>

    <summary>詳しい地図で見る 九十九里町付近は独特の集落形態をなしていることで有名なところだ。地図を一瞥するだけで高校生にも簡単に理解できることから、大抵の地理の教科書でも取り上げられている。もちろん、これからぼ...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=35.5317519&lon=140.4437088&sc=10&mode=map&pointer=off&s=1227140434a848c636192a6ae34c1fc19349c9467e'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.5317519&lon=140.4437088&sc=10&mode=map&pointer=off'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p><strong>九十九里</strong>町付近は独特の集落形態をなしていることで有名なところだ。地図を一瞥するだけで高校生にも簡単に理解できることから、大抵の地理の教科書でも取り上げられている。もちろん、これからぼくも紹介する予定だ。<br />
また、同町小関集落には、日本近代地図測量の父・<a href="http://www.99kankou.com/sightseeing/spot/inou.html">伊能忠敬の生家</a>もある。地図ファンには何かと縁のある土地だと言えよう。</p>

<p>しかし、地理の授業で地図を眺めているだけでは、なかなかわからないこともある。<br />
ある本を手に取るまで、ぼくはこの地に潜む危険のことを全然知らなかった。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MWM0LolhWjSFU5O5b2qJXM1RWieaWRgdWFCdp5lYYY3y"></iframe></p>

<p>平成の大合併の対象とならなかった九十九里町は、地図上で町域を俯瞰するのが比較的容易である。<br />
図面から牧歌的な雰囲気がにじみ出てくるかのような美しさをこの地図は備えているが、地図の見た目が美しいことも教科書が好んで取り上げる要因となっているのだろうか。</p>

<p>まず、予告していた集落形態の方から確認したい。<br />
図のほぼ中央に粟生という集落があるが、内陸側から粟生岡、粟生新田、粟生納屋と見事に揃っている。<br />
他の集落に目を向けると、末尾の「岡」「新田」「納屋」地名は海岸線に平行する形で並んでいることがすぐに読み取れる。<br />
もとは一つの村落（たとえば粟生）のうち、海岸砂丘に挟まれた低地を水田として開墾した場所に「新田」、漁撈のための道具を置いていた場所に「納屋」、そして比較的住みやすい高所に「岡」と名付けたことが想像できる、と地理の授業では習うはずだ。もっとも、隣の村落と諍いなどをおこさずに整然と仲良く土地利用ができたのかどうかまでは習わないけれど。</p>

<p>漁業といえば、房総半島はカツオやアジで有名なところだが、ここ九十九里の名産はイワシだ。だから、ここには日本で唯一の<a href="http://www.jclub.org/iwashi/">イワシの博物館</a>が、図の北東・片貝集落にある九十九里町役場の裏手に建てられている。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
ところで、九十九里の産業は、農業と漁業だけではない。<br />
法久集落の南方と不動堂岡集落の西方にそれぞれ記されている、井桁の地図記号の正体は何だろうか。</p>

<p>実は、これらは<strong>天然ガス井</strong>である。<br />
なお、千葉県の天然ガス採掘量は、新潟県に次いで全国第二位。九十九里町では、町が事業体となって、東京ガスのおよそ半額程度の料金で<a href="http://www.town.kujukuri.chiba.jp/3/3-3/3-3-4-1.htm">ガスを供給</a>している。<br />
地理の授業で九十九里の地図を眺めたとしても、ここまで習うことはないだろう。ぼくも、今尾恵介氏の著書ではじめて知った。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
天然ガスは、町に恩恵ばかりを与えるとは限らない。<br />
2004年7月、上で紹介した博物館で二名の死傷者を出す爆発事故があった。同館付近で自然に噴出した天然ガスが館内に蓄積したものが爆発したことが、後になって判明した。<br />
この事故で亡くなった方は、今尾氏が同館を訪れた際に応対をされた方だった。著書には、そのことがはっきりと記載されている。</p>

<p>関東平野の地下には<a href="http://www.meti.go.jp/press/20071226003/002_gaiyou.pdf">南関東天然ガス田</a>（リンク先はPDF）なる地層が埋まっている。九十九里町付近は、単にガス層が地表付近に位置するというだけのことである。<br />
この地層を掘りあてると、天然ガスが噴出する。いわし博物館の事故は知らなくても、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E6%B8%A9%E6%B3%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85">渋谷の事故</a>を覚えている方は多いのではないだろうか。</p>

<p>もちろん、こんなことも授業では教えてくれない。</p>]]>
        
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    <title>日本一低い場所【八戸キャニオン】</title>
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    <published>2008-11-14T21:56:42Z</published>
    <updated>2008-11-14T21:57:24Z</updated>

    <summary>詳しい地図で見る 日本一標高が低い地点は、青森県に存在する。 ここまで読んで「ああ、青函トンネルに設置されている水準点のことだろう」などと早合点してはならない。 れっきとした地上にあって、太陽を拝むこ...</summary>
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        <![CDATA[<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=40.50957111&lon=141.49201&sc=11&mode=map&pointer=off&s=122655691077e3b3e82cc99cbde5bed7784acb0fbf'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=40.50957111&lon=141.49201&sc=11&mode=map&pointer=off'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p>日本一標高が低い地点は、青森県に存在する。<br />
ここまで読んで「ああ、<a href="http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2004/0329-2.htm">青函トンネルに設置されている水準点</a>のことだろう」などと早合点してはならない。<br />
れっきとした地上にあって、太陽を拝むことができる場所で、もっとも低い地点が青森県に存在するのだ。</p>

<p>その場所は、<strong>八戸キャニオン</strong>と呼ばれているらしい。<br />
ここまで読んで「ああ、そういえば青森県に<a href="http://hello.net.pref.aomori.jp/iwasaki/sightseeing/kyanion.html">『日本キャニオン』</a>があったっけな」などと早合点してはならない。<br />
日本キャニオンではない。八戸キャニオンだ。この図の枠内にあるのだ。もっとも、ぼくも今回調べるまでは正確な位置を知らなかったのだけれど。<br />
ちなみに、日本キャニオンは反対側（日本海側）だ。気が向いたらそのうち紹介するかもしれない。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
日本キャニオンは自然の渓谷だが、この八戸キャニオンは自然にできたものではない。さらに言うと、渓谷ですらない。<br />
正式名称は<strong>住金鉱業株式会社八戸石灰鉱山</strong>。つまりは石灰石の露天掘り鉱山なのだが、どんどん深く掘り下げているうちに、ここまで深くなったらしい。<br />
青森県産業観光ホームページの記述によれば、最深部は海抜マイナス160mに達するとのこと。八郎潟干拓地、江東ゼロメートル地帯、濃尾平野などでもっとも低い地点でもマイナス10mには至らないから、まさに群を抜いて低いといえるだろう。</p>

<p><iframe name="map" id="map" width="640" height="480" scrolling="no" src="http://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/include.cgi?view=VQYEE2v6rB4MZGgWiGhlj0hf1MF2lIFKQODM1jjY0xnWNC440Fp"></iframe></p>

<p>このような大規模の鉱山であれば、地図を眺めているだけでも難なく見つけられる。<br />
崖の地図記号が屏風のようにそそり立ち、凹地を示す等高線が縫うように走っているが、この図からの地形の把握は難解を極める。<br />
松館川の「川」の字の南東に記されたわずかな計曲線が0mの等高線だと思われる。この仮定が正しければ、「せっかい」の地図記号付近を走る計曲線がマイナス100mに相当する。周囲の丘陵地の標高は100m前後であるから、実際には200m以上掘り下げたということになる。</p>

<p>鉱山の最深部が海抜マイナス100m以下にあることを、この地図から読み取れる人はほとんどいないだろう。<br />
せっかくの日本唯一の場所なのだから、せめて標高点を記すくらいのことはできないのだろうか。お役所の地図は、売れても売れなくても構わないということか。実に色気がない。</p>

<p><br />
<hr /></p>

<p><br />
図の中央を市境が通っている。境界の北側が八戸市、南側が階上町になる。<br />
境界線が不規則に折れ曲がっている箇所は以前の自然地形（おそらく旧松館川）と関係があると思うのだが、ここまで激しく地形が変化した後では、当時の地形を思い浮かべることはほぼ不可能だ。</p>

<p>一方で、直線状に引かれた境界も見受けられる。ここは以前からこのような境界だったのだろうか。<br />
大規模な石灰鉱山が地元に落とす金たるや、相当のものだろう。この境界が各自治体の税収配分に寄与する役割を考えると、なかなか興味深いものがある。</p>

<p><iframe width='640' height='480' frameborder='0' scrolling='no' marginwidth='0' src='http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=40.4503398&lon=141.54128232&sc=4&mode=aero&pointer=off&s=122655691077e3b3e82cc99cbde5bed7784acb0fbf'></iframe><br><a target='ymap' href='http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=40.4503398&lon=141.54128232&sc=4&mode=aero&pointer=off'>詳しい地図で見る</a><br></p>

<p>どうしても凹んだ地形を眺めたくなって、手頃な航空写真がないかと探してみた。</p>

<p>地形が読み取れるかどうかは微妙なところだろう。中央部に射し込んだ影から、そこが凹んでいることを推測するのが精一杯といったところか。<br />
それでも、ほんの少し前までは航空写真を無料で眺める機会などないに等しかったのだから、感謝しなければならない。</p>

<p>やはり、現地を直接見学するしかないのだろうか。<br />
<a href="http://www.icee.gr.jp/sisetudb/prev.php?id=367">このサイト</a>によれば、一般向けに無料で公開しているらしい（ただし鉱山内への立ち入りは禁止）。</p>]]>
        
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