君の知らない世界一周物語

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【チリ入国】アタカマ到着。流したい涙、客観視の弊害

ときおり、なぜか無性に泣きたくなる。いや、けっしてぼくは情緒不安定なほうではない。これは「泣ける映画や泣けるアニメなどを見て泣きたい」という意味だ。

”涙を流すことを欲する”というのは、人間特有の不思議な欲求かもしれない。

いわゆる「感動系の物語」が売れるのはこのためである。

 

しかし一方で、ぼくはこう考えている。

涙というものは、流そうと思って流すものではない。どうしようもない感情の揺れに言葉が出ず、その代わりに流れ出るものが涙なのだ。

人為的に流せるものは涙とはいわない。それはただ単に、目から分泌される体液の一形態に過ぎない。

 

 

人為的な涙。

ぼくら人間はみな、この人為的な涙(人為的な感動)を求めて、作り物のストーリー(映画、アニメ、小説など)に時間とお金を投じるのだ。

 

 

 

けれど、違う。

どこか違うのだ。これでは。

 

たしかにぼくも、映画やアニメや小説が好きで、その作品によって涙を流すこともある。しかし、それは人為的な涙に過ぎないのだ。

 

そういった人為的な感動の裏側で、ぼくらが本質的に求めている涙。それは、自分の実体験から、いやおうなしに流れ出てしまう涙である。

これを「オリジナルな涙」とよぶことにしよう。

 

 

 

告白しよう。

じつはぼくは、ここ数年間でこの「オリジナルな涙」を一度しか流していない。

その一度というのは、あなたもご存知のとおり、二人旅をしていた相方と別れたときの、イスタンブールでの不意の号泣だ。
※参考記事⇒号泣のイスタンブールにて二人旅終了。これまでの経緯説明

 

この涙こそ、ぼくが求めているオリジナルな涙である。作り物のストーリーではなく、自分自身のストーリーに生きた結果の、まさに唯一無二の涙なのだ。

 

 

 

 

旅をしていると、仲間と数日間行動をともにすることがよくある。

たとえばそういった仲間との別れの場面において、ぼくは涙を流せない。たしかに感動はしているのだが、涙が出てこないのだ。

 

別れを惜しみ、涙を流す仲間が大勢いる中で、ぼくはなぜか涙を流すことができない。

これはなぜだろうか。

 

 

 

もしかしたらぼくは、寂しさという感情と向き合うのが苦手なのかもしれない。

たしかにぼくにも、”寂しい”という感情はある。しかしどうやらぼくは、その寂しさを表に出す(泣く)ことが苦手らしいのだ。

 

 

 

 

「あるいはーー」ぼくは思う。「自分のことを客観視する視点が強くなりすぎているのかもしれない」

 

客観視。

たとえばなにか苦しいことがあったとき、ぼくはその苦しみをぼく自身のものとして受け止めない。まるで、映画のスクリーンに映し出されたもうひとりの自分が、苦しい状況に置かれているのを眺めているような感覚で、自分自身を客観的に見てしまうのだ。

自分を客観視するとは、つまり「自分を他人の立場から眺めてみる」という思考訓練である。

 

自分を客観視する視点。これはあらゆる状況において有益である。

 

 

たとえば誰かを笑わせるときには、この”自分を客観視する視点”は非常に大切だ。

「ここでこうボケて、果たして本当にそれはおもしろいだろうか?」

会話においてぼくが重要視しているのは、”いかに相手を笑わせるか?”だ。

 

会話におけるぼくは、どんなにオチャラケているように見えても、心の中ではつねに冷静に場の空気を観察している。

笑いとは、空気を読むことから始まるのだ。

 

そして客観視である。

ぼくはあらゆるボケやツッコミの場面において、自分を客観視するようにしている。

「本当にそれはおもしろいか?そのボケで誰も傷つかないか?」などと、聞き手の立場に立って脳内会議をする。おそらくぼくは0.1秒以下の速度で、ボケの取捨選択をしているのだ。

 

 

 

 

いつの頃からか、自分を極度に客観視するくせがついてしまった。

相手の立場、あるいはほかの誰でもなくまるで映画撮影用カメラの視点で、ぼくは自分を客観視している。

 

たしかにこの”自分を客観視すること”は、ストレスから自身の心を守ったり、慎重に言葉を選んだりする際には大きなメリットとなる。

しかし、おそらくデメリットも存在するのだ。

 

そのデメリットこそが、「自分自身のストーリーを客観視してしまうあまり、オリジナルな涙を流すことができない」という点なのである。

自分自身の世界すらをも”作り物の物語”として認識してしまい、自分がどこにいるのか、よくわからなくなってしまう。ぼくはこの宇宙のどこにも存在していないのかもしれないし、そこここに存在しているのかもしれない。

ぼくの客観視的世界では、思考だけが浮遊し、ぼく自身は実体をもたない幽霊のような存在になっている。

言葉にするのが難しいが、ぼくが生きている世界はそんな抽象的なイメージだ。

 

 

 

ブロガーとは、自分自身の物語をアウトプットする者、つまり客観視の視点をもつ者である。

ぼくが多くの利益を得てきたこの「自分自身の世界をどこか他人事のように眺める視点」は、もしかすると調律・調整が必要なのかもしれない。

 

おそらくぼくは、客観的思考に偏重しているのだろう。バランスを欠いている。

この旅で、ぼくはもっと主観的に自分自身を体感して、オリジナルな涙が流せるようになりたいと思っている。

 

 

 

 

 

閑話休題。

ここ三日間ほどは、インターネットが通じない場所にいたため、ブログ更新ができなかった。

 

どこでなにをしていたかというと、ボリビアのウユニからチリのサンペドロ・デ・アタカマ(通称アタカマ)へ移動していた。

砂漠とも荒野ともいえる風景の中を、二泊三日で駆け抜けるツアーだ。

 

美しい山と湖。フラミンゴ。ビクーニャ(アルパカに似た動物)、キツネ、などなどなど、自然の風景を堪能した。

以下、ウユニ〜アタカマツアーの写真。
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昨日ボリビア〜チリの国境を無事越え、いまはチリのサンペドロ・デ・アタカマという町の宿でブログを書いているところ。

現在時刻は2月22日、日曜日の朝8時35分。

 

チリは物価が高いので、ぐずぐずしていられない。

ぼくらはこれからチリを南下するべく、バスチケットの購入へ向かう。

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