君の知らない世界一周物語

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言語学習と、人類の進化に関する考察

shinka
太古の昔。原始の人類は言葉をもっていたのだろうか。

いや、そもそも人類に”原始”など存在するのだろうか。

世間が言うには、”原始時代”とよばれる時代があったらしいのだが、それが正しいかどうかはわからない。

 

「情報は改ざんされている可能性があり、それは人類史についても同様である。すべての情報を疑う姿勢。これこそが哲学なのだ」

ぼくの頭の中で、デカルトが語りかけてくる。

※デカルトとは?⇒フランスの哲学者。自分の肉体の存在を含め、あらゆるものを疑う姿勢をとった。

 

 

とはいえ、デカルトのようにすべてを疑い続けていては、この記事の主旨から脱線してしまう。なので、今回は「原始の人類は言葉をもっていなかった」と仮定して話を進めようと思う。

 

 

 

原始の人類が言葉をもっていなかったとすると、彼らは一体どうやってコミュニケーションをとっていたのだろうか?

おそらく、最初はボディーランゲージだっただろう。

 

きっと、手に持った肉を仲間に差し出しながら「ん!ん!」というふうに、言葉にならない言葉を発し、「これ食べていいよ」という意思表示をしたのだろう。

きっと、寒さに震える仲間を見たら「寒いんだろうな」と察して、「ん!(これ使っていいよ)」と毛皮を貸してやったのだろう。

 

 

言葉などなくても、簡単な意思疎通はできるものなのだ。それは21世紀になった現在も同じで、ぼく自身、この旅で何度となく経験してきた事実だ。

ここでいう”簡単な”意思疎通とは、言い換えるなら「目に見える事象に対応すること」である。

それはつまり、言葉なんてなくても、見れば誰でも「ああ、そういうことか」とわかる事象のことだ。

 

 

 

目に見える事象に対応するのは簡単であるから、すなわち、「目に見える事象を表現するための言語も簡単」ということになる。

 

いまぼくはスペイン語を勉強しているが、目に見えるものを表現することは大体できるようになった。

「机の上にリンゴがあります」

「雲が多いです」

「あの男性は背が高いです」

 

このように視覚的に捉えることができる情報、言い換えるなら”具体的な情報”は、言語化するのがとても簡単だ。

 

 

 

いっぽう、目に見えない情報を言葉にしようとすると、急に難しくなる。

たとえば、

「明日は晴れるといいな」

「子どもの頃はよく森で遊んだものだった」

「昨日、あなたが来てくれたらよかったのに」

 

このような、目に見えない情報すなわち”抽象的情報”の言語化は、英語でもスペイン語でも、格段に難しくなる。

 

 

 

 

さて、話を原始時代に戻そう。

原始時代、人類は言葉をまだもっていなかった。そのため、目に見えるものをボディーランゲージで伝えることしかできなかった。

 

たとえば、以下のような情報は、伝えたくても伝えることができなかったはずなのだ。

「この肉は明日のためにとっておこう。明日は獲物が捕れないかもしれないからね」

「来年のために農作物を育てよう」

「おれが子どもの頃は、この辺りはまだ森だったんだ」

 

このような目に見えない事象、すなわち”抽象的な情報”は、言葉をもたなかった原始人は伝えることができなかったはずなのだ。

 

 

 

そこで人類は言葉を生み出した。

ぼくは「言葉の存在が先か、世界の存在が先か。あるいは言葉が先か、感情が先か」という大議論については慎重な立場をとっている。これについてはまだ結論を出せていないので、ここでは仮説「人類が人類史上の途中で突如として言葉を生み出した」として話を進めていく。

 

 

そう。ある天才的な一人の原始人が、突如として言葉を生み出したのだ。(そう考えたほうがおもしろい)

きっとその天才的原始人は、こう考えたに違いない。

「なんだこいつ!ぼくはこの肉は明日のために残しておきたいのに、こいつはいま食べようとしてる、、、どうにかしてこの気持ちを伝えたいなぁ。。。そうだ!”明日”という言葉を作ってみよう。そうすれば、”この肉は明日食べよう”と伝えられるぞ!」

 

こうして、ある天才的原始人は言葉を生み出した。

これにより、人類はより抽象的な思考ができるようになったのだ。

 

 

目の前の視覚的な情報だけの世界から、精神世界(抽象世界)への思考の旅ができるようになった。

これこそが、”進化”すなわち”成長”である。

 

目の前の事象から、それ以上の情報を読み取る力。具体的事象の中に法則性を見つけ出し、理論を構築する力。そしてそれを第三者へ伝える力。これこそが進化の証なのだ。

 

 

 

 

抽象的な思考ができるようになるとは、つまり人類進化の歴史の一員となることだ。

有史以来、時代から時代へと受け継がれてきた進化のバトンをつなぐ、そのリレーに参加するということを意味する。

 

 

では、どのようにして抽象的思考を身につけるか?

その方法は簡単だ。

 

たとえば外国語学習。

外国語学習は「自分の脳内に別の思考回路を作る」つまり乱暴に言うなら「別の人格をもうひとつ作り出す」ということだ。

最初は「This is a pen.」のような目に見える情報しか表現できないが、学習が進めばだんだん抽象的な表現も身についてくる。英語なら仮定法、スペイン語なら接続法などがその抽象的表現の代表格だ。

 

新しい言語を身につける。

これは、「抽象階段の上り方」を学習しているようなもので、人類の進化という意味では非常に大きな意味をもつ。

だから、言語学者は抽象的な思考ができる場合が多い。数学や物理も抽象的思考法の代表格なので、数学者や物理学者も抽象的思考に長けている。

 

 

 

あるいは、ぼくが実践している「断捨離(だんしゃり)」も、抽象的思考を身につける方法のひとつだ。

※断捨離(だんしゃり)とは?⇒荷物を捨てまくる掃除法。転じて、そこから派生する思考法、覚悟、生き様。

例外もあるが、荷物の少なさと思考抽象レベルの高さは比例する。つまり、抽象的思考(進化)がしたいなら、荷物を少なくすればいいだけの話である。

 

なぜ荷物が少ない人は抽象度が高いかというと、荷物が少ない人は臨機応変な対応ができるからだ。

荷物が少なければ「なくてもその場でなんとかする」という、いわば”即興力”みたいなものが磨かれる。言い換えるなら「勇気」「覚悟」「許し」である。

「許せることは強さの証だ」とガンジーも言っている。

 

 

 

 

物欲(具体)を捨て、知識欲(抽象)へシフトする。これは人類の進化史に沿うことであり、宇宙の大きな意思の一員となることなのだ。

 

以前、「心理学者マズローと”旅人なり”の欲求段階説」の記事でも解説したように、人の欲望は物質的なものから非物質的なものへ変化していく。最初は食べ物だけを欲していたのが、”人とのつながり”や”自己実現”といった抽象的な概念を欲するようになるのである。

 

長くなってしまったので、今回はこの辺りで記事を終えようと思う。

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Comments & Trackbacks

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  1. はじめまして
    素敵な文章ですね。

    なりさんは綺麗な心の持ち主ですね
    今度ナリさんの写真もあげてください

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