君の知らない世界一周物語

Read Article

ただの落書き?ピカソのゲルニカが教えてくれたこと

12月12日。ダハブからマドリードに飛んできた日の午後。

宿にチェックインしたぼくは、荷物を置いて宿を飛び出した。

ピカソのゲルニカを見に行こう。

 

ダハブで知り合った日本人から聞いていた。

「マドリードにはピカソのゲルニカが展示されている美術館があって、平日19時以降は無料で入れる」と。

 

 

 

地下鉄を乗り継ぎ、到着したのはソフィア王妃芸術センター。ここにピカソのゲルニカが展示されているという。
IMG_1946

 

チケット売り場に行ってみると、本当に無料でチケットがもらえた。
IMG_1947

 

 

いざ入館。

ぼくは美術館や博物館のおもしろさがほとんど理解できない人間だ。ほかの作品には一切興味がない。ゲルニカだ。ゲルニカが見たい。

 

 

 

エントランスの受付嬢に声をかける。

ぼく「ゲルニカはどこにありますか?」

受付「2ndフロアです」

 

 

1stフロアを完全無視し、一気に2ndフロアへ向かう。階段を早足で駆け上がる。

 

2ndフロアに到着して少し進むと、人だかりのできている部屋を発見。ゲルニカだ。

 

 

 

昔、学校の教科書で見た絵がそこにあった。

 

ゲルニカはでかい絵だった。

幅5mほどあるのではないか。

 

 

 

 

正直な感想を述べると、ゲルニカの何がすごいのか、その場ではまったくわからなかった。

ただのグチャグチャな絵にしか見えなかった。道ばたの壁にスプレーで描かれた落書きと大差ないように思えた。

 

 

 

 

宿に帰ってから、ぼくは考えていた。

「ピカソのゲルニカの実力はこんなものではないはず。壁の落書きと同レベルのものだとしたら、世界的に有名になるわけがないじゃないか。何か見落としていることがあるかもしれない」

 

ネットに接続し、ピカソについて調べてみた。

そして納得した。ピカソはやはりすごかったのだ。

 

 

 

ピカソはもともと、写実的な絵もうまかった。それこそ写真と同じぐらい上手に描ける画家だった。

しかし、ピカソの時代、カメラが登場してきた。それにより、写実的な絵の存在意義が薄れてきた。そりゃそうだ。写真は対象をほぼ完璧にコピーする。いくら写真のようにうまい絵を描いたって、正確性という観点で見れば、必ず写真に軍配が上がる。

 

そこでピカソは「キュビスム」という新しい描写法を開発した。キュビスムとは、簡単に言うと「三次元(立体)のものを二次元上(平面)に展開図的に描く技法」である。

 

ここからはぼくの解釈になるが、キュビスムとは宇宙的哲学的な意味も内包するのだと思う。つまり、対象の時間軸も含めた変化、宇宙空間における座標軸の変化も含めた見え方の変化など、あらゆる要素をごちゃまぜにして、紙という二次元で表現する試みなのだ。

思い出してほしい。いま現在も、ぼくらは宇宙空間を高速で移動しているのだ。一見静止して見えるものも、宇宙的に見ればものすごいスピードで宇宙の座標上を移動し続けている。

※キュビスムについては以下のサイトで非常にわかりやすく解説されている。
⇒あなたの知らないアートの世界

 

 

 

 

ピカソのゲルニカが作品単体としてすごいかどうかはわからない。しかし、ピカソがゲルニカを描くに至ったプロセス。思考過程。そこにぼくは敬意を表する。

 

写真が登場した以上、見たままきれいに描く絵にほとんど存在意義はなくなった。それならと、ピカソは自分というフィルターを通して、自分の精神世界という映写機を通して、彼自身の世界を描いたのだ。

 

 

 

 

結果、それが「キュビスム」という新しいジャンルを生み出すことになった。

 

ぼくにはピカソがこう言っているように感じる。

「誰にでも描けるような絵を描くな。自分自身にしか描けない絵を描け」

「外部に答えを求めるな。答えは作り出せ。そうして作り出した答えに周囲からの批判があろうとも、自分なりの意味付けをし、自分だけは納得して生きろ」

 

 

 

ゲルニカとは絵画ではなく、ピカソからの手紙だったのだ。

 

 

 

 

他人がなんと言おうと、自分だけは納得していればいい。「これが最高なんだ」って。

ある種、自己催眠にも似た生き様。しかしこれこそが芸術であり、旅であり、人生なのだ。そんな姿にぼくらは心打たれるのだろう。

URL :
TRACKBACK URL :

Leave a Reply

*

人気記事ランキング

Return Top