君の知らない世界一周物語

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「お金がないから不幸だ」と嘆く女性が幸せになるには?

siawaseokane
何日か前の出来事。

宿のロビーで「お金がないから私は不幸なのです」と嘆く女性と出会った。

そのとき、僕の中のソクラテスが語り始めた。

 

ことの発端はこうだ。

その宿の1Fロビーはレストランのような造りになっており、無料でティーが飲めるので、僕はよくそこに下りてティーを飲んでいた。

ロビーに下りるたびにその女性がいて、僕に切々と不幸話を聞かせてくる。話を聞いてみると、その女性は宿の宿泊客ではなく、近所に住んでいる外国人のようだった。

 

その女性は、以下のような発言を繰り返していた。

「私はお金がなくて家の電気を止められたから、ここでインターネットを使っているのです」

「私は外国人なので、なかなか働かせてもらえない。ずっと就職活動しているがどこも採用してくれない。だからお金を稼ぐこともできない」

「母国に帰りたいが、お金がないから航空券も買えない」

「母国に帰ったとしても、人脈もないし若くもないから仕事に就けない」

「私はお金がないから不幸なのです」

 

 

 

こういった、不幸話を延々と続けるタイプの人は、多くの場合、こちらから何を言っても耳を貸そうとしない。

親身にアドバイスをしても「でも…」と否定し、可能性を追いかけようとしないのだ。人の意見を聞き入れないということは、自分の価値観だけで生きてしまっているということである。

 

 

僕が当ブログでも繰り返し述べているように、新しい世界、新しい価値観を受け入れていくことが、人生を好転させるきっかけとなりうる。

これまでまったく触れたことのないような意見に触れたとき、断固拒絶するのではなく、少し許容してみる。「こういう考え方もあるのだな」と一歩譲ってみることだ。

事実、そうやって僕は人生を変えてきた。

新しい価値観を断固拒絶しているようでは、自分の価値観が変化することはない。変化がないということは成長がないということである。

 

 

 

これまでまったく考えたことのないような、未知なる概念を受け入れていこう。

新しい価値観を受け入れていくことなしに人の成長はない。

 

 

 

 

 

さて、話をロビーの女性に戻そう。

このテの人種と出会ったら、「はあ、そうですか。それは大変ですね」などと、ただ同調・同情して聞き流すのが無難である。不幸自慢が好きな人たちは、聞き手にただ同情してほしいだけなのだ。具体的アドバイスを求めているわけではない。

厳しい言い方だが、アドバイスしても時間の無駄になる可能性が高い。

 

僕は「はあ、それは大変ですね」と親身に聞いていたが、彼女の最後の発言にどうしても言葉を返したくなってしまった。

 

 

女「…つまるところ、私はお金がないから不幸なのです」

僕「!ちょっと聞き捨てならないですね。お金がないと人は幸せになれない、と?」

女「そうです。お金がないと人は不幸です」

僕「では、あなたはお金がない人は全員不幸だと考えているのですね」

女「そうです」

僕「そうですか。僕はそうは思いません。あなたにお金を渡すことはできませんが、僕の好きな言葉をプレゼントします。この言葉は、ある意味お金以上の価値をもっています。いいですか、よく聞いてください。”お金がないから幸せになれないと言っている人は、お金があっても幸せになれない”のです」

女「…は?」

僕「何かに依存した幸せは、この世には存在しない。幸せとは思考法なのだ。思考法こそが”幸せ”という精神状態を作り出すのだ。お金がないから不幸だ。顔が生まれつきブサイクだから不幸だ。親が離婚したから不幸だ。そんなものは幻想です。僕に言わせれば、○○だから不幸だと言っている人は全員、自分が本当は幸せだということに気づいていない

女「…(ポカーン)」

僕「幸せとは、すでに僕らの心の中にある。生まれた瞬間から僕らは幸せなのだ。僕が”僕は幸せだ”と決めれば、僕は幸せなのだ。幸せとは”なる”ものではなくて、”思い出す”ものなのだ。常識を捨てよ。新しい価値観を受け入れよ」

女「あなたの言っていることの意味がわかりません」

僕「○○だったら幸せだ、○○だから不幸だという表現は、僕は断じて認めない。ある条件下においてのみ幸せが存在するのだとしたら、そんなものは真の幸せではない。真理たる幸せではない。真理とは、万有引力のごとく、いかなる人間にとっても平等に作用するものだから」

女「…あの〜、、、何をおっしゃっているのですか」

僕「たとえば、交通事故で片足を失くした男性がいるとしよう。彼は不幸か?」

女「はあ、不幸だと思いますが」

僕「では、事故で片足になった人は幸せにはなれないということか?」

女「…どうでしょう。。。いいえ、その人が大金持ちで、美しい妻がいたり、多くの友人がいたりすれば、幸せかもしれません」

僕「ということは、幸せになるために必要なものは、失った片足ではなかったということになるね。それなのにあなたは、片足を失った男性を不幸だと予測した。これはなぜか?ちなみに僕は彼を不幸だとは思わない」

女「きれいごとだ!事故で片足失った人を不幸だと思わないなんて!!」

僕「いや、彼は幸せだ。なぜなら、事故で死ななかったじゃないか」

女「そんなのは極論だ!思考の放棄だ!!」

僕「いいや、思考の放棄ではない。片足失ったから不幸だと決めつけることのほうがよっぽど思考停止だ。あなたの考え方では、難病患者や身体障がい者が全員不幸だという理屈になるね」

女「本来なら健康に生きられたはずなのに、健康に生きられないということは不幸でしょう」

僕「それでは、”健康に生きる”とはどういう状態を意味するのか?」

女「そ、それは、、、一概には言えないと思います」

僕「さきほどのあなたの理屈でいうと、健康に生きられない人は不幸だ、ということになる。しかし、あなたはそもそも”健康に生きること”の定義付けができていない。○○だから不幸だ、と言っておきながら、○○の部分について定義付けができていないのだ」

女「ではどうすればいいのですか?」

僕「普段、何気なく自分が使っている言葉について、自分なりの定義付けをしておくことだ。これは相当に難しい。無意識に使っているあらゆる言葉について、自分なりの定義付けをしていくというのは、想像以上に頭を使う思考訓練である。しかし、定義付けをしていこうとする姿勢があるのとないのとでは、話す言葉の重みが違ってくる。説得力や腑に落ちる度合いが違ってくるのだ」

女「まずは自分の使っている言葉に注目してみろ、ということですか?」

僕「そのとおり。すべての言葉には、自分なりの定義をもっておかなくてはいけない。それができていないのに、無意識的にその言葉を使うべきではない。たとえばあなたは、”片足失った人は不幸だ”と無意識的に判断した。これは思考の放棄で、理由なしの決めつけ行為である」

女「たしかに、片足失っても幸せな人はいるかもしれません」

僕「片足の人でも幸せになれる。これは当たり前のことだ。なぜなら幸せは、万人に共通して存在する真理なのだから」

女「真理、、、」

僕「では、別の人について考えてみよう。ある男性が交通事故で植物状態になってしまった。彼は不幸か?」

女「これは難しいですね。なぜなら彼に意識は存在せず、自分が幸せか不幸かも判断できないからです」

僕「そうだね、もしかしたら彼は、自分が生きているか死んでいるかさえわからないのかもしれない」

女「それって悲しいですね」

僕「あなたは自分が生きているか死んでいるか、判断できますね?健康な両足が揃っていますね?あなたはそれでも自分が不幸だと言うのですか?」

女「…なんだか私、自分がとても小さなことで悩んでいる気がしてきました。これからは、もっと笑顔で、プラス思考で生きてみます」

 

 

 

 

どんな事象にも必ず良い面が隠れている。重要なのは、その良い面を見つけようとする思考訓練を、日頃から怠らないことだ。

幸せの思考法とは、究極のポジティブ思考なのかもしれない。

ぬるくなってしまったティーをすすりながら、僕はそんなことを考えていた。

 

※一部フィクションを含みます。

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