君の知らない世界一周物語

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ブログ休載の理由。それは、恋人のような存在で

koibito
今日は2014年10月10日。僕はいま、スロヴェニアのリュブリャナという町にいる。

いつの間にか、旅に出てから3か月が経っていた。

当ブログ「君の知らない世界一周物語」の更新は止まったままだ。

今回は、ブログ休載理由について述べる。

 

最近気づいたのだが、僕にとってのブログとは恋人のような存在だったようだ。

中途半端な覚悟では付き合うことができない。なんらかの代償を支払い、ようやく付き合うことが許される存在なのである。

 

 

あなたも想像してみてほしい。

独り身だったあなたが、もし恋人と付き合い始めたとしたら、それまで独りで過ごしていた時間や、ほかの友達と過ごしていた時間を、代償として支払う(手放す)ことになる。

 

「代償」という言い方が適切かどうかはわからないが、表現の方向性として間違ってはいないはずだ。

多かれ少なかれ、これは真理である。時間は有限であり、何かを手に入れられる人は、何かを手放すことができる人なのだから。

 

 

 

ともあれ、僕にとってのブログとは、そんな代償をともなう存在だった。

 

 

 

 

自分自身の精神世界にアクセスして、脳みそに汗をかいて、必死に文章をクリエイトしていく。

独りになって、自分自身との対話の中から文章を紡ぎ上げる。

僕にとってのブログ執筆とは、そんな作業である。

 

 

これまでの世界に存在しなかったようなレトリック(比喩)を創り出し、言葉を編んでいく。

 

たとえるならそれは、言葉と言葉の化学反応だ。

高いレベルで配列されたレトリックは、ある種の麻薬のような快感を読み手に与える。

思うに、売れる小説と売れない小説の違いは、その”麻薬的快感”を文章に乗せることができるかどうか、だ。

 

 

 

恋人のような存在。

そう。旅の開始時点から、僕にとってのブログは恋人同然の存在だった。

 

つねにアンテナを立てて、ブログ記事にするための情報収集をしていた。

詐欺にあっても、「この体験をどうやって記事にしてやろうか」という脳内変換装置がつねに働いていた。

「今日はこういう引用文を入れよう」とか、つねに考えていた。

 

 

 

言い換えるならそれは、

恋人(ブログ)にプレゼントをする(記事を書く)

毎日がそんなメンタリティだったのだ。

 

 

 

それほどまでに大きな存在だったブログ「君の知らない世界一周物語」だが、あなたも知ってのとおり、ここ最近、まったくもって書けなくなってしまった。

 

 

まるで、映画「魔女の宅急便」でキキが飛べなくなったシーンのよう。

言葉の海に、心の奥に、深く潜ることができなくなってしまった。

 

 

 

原因はわかっている。

ブログが書けなくなったのは、トマティーナ以降。つまり、一人旅ではなく、団体行動するようになってからだ。

 

 

何度も言うが、僕にとってのブログとは、恋人のようなものである。

片手間でできるような作業ではない。

 

 

 

これまでの僕の傾向から分析するに、僕は団体行動をするとブログが書けなくなるようだ。

8月末に団体行動を始めて以降、まともな記事が書けていない。

 

 

いくつか記事は書いているものの、効果的なレトリックも、ワクワクするような冒険も、笑える引用もない。

 

ちなみに今は、ある女性と二人旅をしている。(恋人とかではない)

当ブログの連載再開は、もう少し先になりそうだ。

 

 

おそらく、あと数週間。

またブログを書ける精神状態にもっていけると思う。

そんな気がする。

 

 

 

誤解しないでいただきたいが、僕は旅における団体行動を批判しているわけではない。僕にとっても、トマティーナ以降の団体行動は宝物の思い出となっている。

 

自己対話(ブログ執筆)と他者対話(団体行動)のあいだを揺れ動くことは、けっして無駄ではないはずだ。

むしろこれまで自己対話に偏重してきた僕にとって、団体行動こそが必要な経験に違いないと思っている。

 

僕と団体行動を共にしてくれた人すべてに感謝したい。

 

 

キミセカ読者のみなさん、もうしばらく待っていてください。

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